由比敬介のブログ
人質問題
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人質問題

 イラクでまた日本人が人質となった。
 今回人質になっている香田さんは「旅行」らしいため、世間の同情や関心も以前の時に比べると低いように感じる。もちろん、新潟の地震関連のニュースがあるから、自ずと比率は低くなるだろう。
 とてもかわいそうだし、是非助かって欲しいと思う。たとえどんな理由にせよ、親の立場からすれば、まず第一義に救いたいという気持ちに違いない。
 ニュースで、昨日から実家に対し相当数の嫌がらせ電話がかかっていると報道されていた。たとえ理由はどうあれ、明日にも首がはねられる可能性がある青年の実家に、例えば「自業自得」とか、「馬鹿じゃないか」とかいう電話がかかっているのだろうか?
 確かに彼の行動は非難されるべきだろう。少なくとも無事助かって帰ってきた暁には、大変な苦しみも待っているだろう。
 Yahoo!の掲示板などを見ると、様々な意見が寄せられているが、その中で、「旅行中の事故のようなもの」「対岸の火事」といった意見も見られる。理屈で言えば一面正しい。例えば同じ時期に新潟の地震で多くの命が犠牲になった。交通事故や、様々な理由で多くの人が毎日亡くなってもいる。他人の死が「対岸の火事」であるのは事実である。すべてを自分に置き換えたり、身内のこととして捉えるのは難しいだろう。
 今回の場合、たとえて言えば、酒を飲んで車を運転して、壁にぶつかったのと比較できるくらい香田さん自身にも非はある。
 だが、彼の身を案じ、自らのみを着られるような思いをしている家族に対して、誹謗や中傷のような電話をかける人たちというのは、いったいどんな意識を持っているのだろうか。私にはどうもその辺りの感覚が理解できない。ある意味こういう反応は悪辣でさえあると思う。学校や職場でのいわれのないいじめに似ている。
 多くの人が毎日死を迎えているのも事実だし、その中には不幸な死もたくさんある。死はとても個人的な苦しみであるとともに、周囲の人間にとっても悲しみである。一定以上の年齢を迎えて、老衰や、あるいは病気でなくなるとしても、これは望むべくいい方の死である。
 若くして病気や怪我でなくなる人、事故でなくなる人、自然災害でなくなる人、殺害される人、我々は誰もこういう死を望まない。だからこそこういう死は特殊であり、しかもより大きな集団から段階的に自分に近づくごとに、それは近しい感覚をもたらす。
 たとえ非の多くが香田さんにあるとしても、彼が首を切られて死ぬと言うことがあれば、それは忌むべき行為であるし、あってはならないと思う。その点は分けて考えるべきだ。
 日本政府が多額の税金を使おうと、それは政府の義務である。銀行につぎ込んだり、役人や政治家の家賃を安くするために使う税金よりは、少なくとも人の命を救うために使われる税金の方が有意義ではある。
 イラクでは、結果的になんだかよく分からない理由のために多くの国民や、あるいは攻めて側である多くの軍人が命を落としている。生と死は、分かつことのできない一本の線の両端であるが、それを戦争や争いという事象の中で、本人の意向を無視して断ってしまうことが、いいわけはない。
 この度のことは、人質という手段をもって政治を動かそうとするテロリスト(彼らは自分をテロリストだと思っていないだろうが)側の方が悪い。
 
 ずれにしても、息子の生死を他人に握られた家族には、中傷などすべきでないことは自明のことではないだろうか。


 結果的に香田さんは殺害された。自業自得だというのは易しいが、人間は生きていく上で、たくさんの間違いをする。平凡な人生でなければ尚更だ。恥ずかしくて穴に入り多様な経験は、多かれ少なかれ誰に出もあるのではないか。
 そんな中で、迂闊だとはいえ、それが自らの死という結果を導くことになってしまった、彼自身の、死に際の後悔を思うと、かわいそうでならない。他を見て、「普通解るだろ」と言うことが解らなかった時の、そしてそれが引き返すことのできない悲劇に結びついた時の、その思いを察して、死者への鞭を打つ人がいないことを願い、合わせて冥福を祈りたい。

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