由比敬介のブログ
1年の不思議
1年の不思議

1年の不思議

 といったって、それほど大したことを書こうというのではない。
 1年は365日、1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒、そして1年は12ヶ月、1ヶ月は約30日、これは偶然なのだろうか?
 時計は60秒と、60分、12時間の針がそれぞれ回転する。1回回るのは360度だから、1秒は6度、1時間は12度動くことになる。月は、約28日で地球の周りを回るが、それは約1ヶ月で、太陰暦と太陽暦の差は、長い目で見ればもちろん違うが、ある意味近似である。地球もまた、その12倍をかけて太陽の周りを1回転する。つまり、1ヶ月に約30度、1日1度ずつ、太陽の周りを動くのだ。もちろん正確にではないが。
 しかし、火星や金星だったら、そんなことはない。
 火星は自転こそ地球とあまり変わらない24時間で1回転する。しかし、太陽の周りを回る時間は687日。火星の衛星は二つあるが、フォボスは約7時間半、ダイモスは約30時間で火星を回っている。
 金星に到っては、225日で太陽の周りを回っているくせに、自転は243日もかかるのだ!
 この、地球に存在する360度という円の角度と、それを基準にできる様々な日や時間の数値は偶然なのだろうか?あるいは言い方を変えれば、そういう数値の巡り合わせを持った地球にだけ人類がいるというのはどういう事なのだろう?
 科学者に言わせれば、数学は、言葉が通じない宇宙とのコミュニケーションに非常に適しているという。様々な数列の不思議や、定理、公理などはこの宇宙のどこへ行っても通用するからだという。例えば、1+1は2以外にはならないわけだ。
 まあ、こんなものでコミュニケーションを取るということが、どんなコミュニケーションなのだか、はなはだ心許ないが、相手が知的かどうかを判断する基準にはなろう。
 朝起きて、次の朝が来るまでが24時間、その30倍が1ヶ月、そしてその12倍が1年と知った時に、人類はやはりそこに何かあると思ったのではないだろうか?昔は1秒は1日の86400分の1だったらしいが、現在では「セシウム原子133の基底状態の二つの超微細準位間の遷移によって発する光の振動周期の91億9263万1770倍の時間。(広辞苑)」と言うことらしい。こういう数字を見ると、何だ、別に数字に意味なんて無いな、と思ってしまうのだが・・・・
 とにかく、1日の24時間までは何となく人間の決めごとで解る気がするのだが、なぜ月は約その30倍で地球を回っているのか、さらにその12倍で、地球がなぜ太陽の周りを巡っているのか、そしてそれがどうして約360日なのかとふと思ったとき、何か神秘的なものを感じてしまったのだ。
 まさにマヤ歴は30日×12+5日を1年としていたらしい。
 地下鉄をどこから入れるかなどより(古いな!)よほど不思議なのだ。
 私は基本的に、心霊現象や、UFO、ネス湖の怪獣とか、いわば人の力が解明できていない不可思議なことの多くを信じていない。ただ、否定もしない。あったら楽しい(楽しいばかりではないが)だろうな、という程度だ。占いであれば、都合がいいところだけを信じる。
 例えば、UFOを見た人は現代にいる。上手くすればその時の状況を直接聞くことが可能だ。しかし、豊臣秀吉とあった人は現代にはいない。直接彼について訊くことはできない。
 この直接検証できるかどうかを比較すれば、どちらの信憑性が高いのだろう?昔の人が嘘を書かなかったと、古文書に対してその保障をするのは何なのだろう?という程度の懐疑を持って、物事を見るのもまた楽しい。
 ところが、地球が1年で太陽の周りを回っているのは現前とした事実で(いや、誰もそれを上から見下ろしたわけではないが)、そちらの神秘の方が、私にはより神秘なのだ。なぜ、地球が200日や400日で太陽の周りを回っているのではないのか、なぜ24時間で自転しているのか、月はなぜ5ヶ月かけて地球の周りを回らないのか?どうして地球にいつも同じ面を向けるように動いているのか、ああ、なんて不思議なことだらけ!
 多分答えはたまたま、偶然。という言葉でも片づけることは可能だが、これは、あらゆる事に適応できるので意味はない。因果や縁起はこの世の成り立ちすべてに当てはまるし、恐らく自分が今これを書いている元は、この360日と無関係ではないのだと思う時、この世の全てはとても美しく思えてきませんか?

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