まあ一つにはリハビリとして、あるいはストレスの解消、朽ちることのない様式美への讃仰、暇つぶし、アイデンティティの確認、あたかもそれは「お~いお茶」の俳句大賞のように、読んでくれる人だけ読んでくれればいいと言いながら、限りなく自己主張するような、矛盾と羞恥心のなさを兼ね備え、軽薄と鈍重が同居する亜空間での遊技。
そのうちに小説に復帰するための大リーグボール養成ギプスとしては、非常にバネの甘い、自堕落なものとなる可能性もあり、また、おじさん化現象の極みでもある「政治」などというカテゴリーを恥ずかしげも無く表出するところに、実は覚悟を読み取って欲しい乙女心。
瓢箪から駒とでもいうように「何かを生んでくれること」を、悪魔がせめて二人は踊ることのできるピン先くらいに期待して、まあちょっと、なんか書いてみようかな。