農林水産省が、「正しい日本食」を出す店の認定制度をアメリカ等海外で行うというようなニュースを、先日見た。
以下は、12月23日の産経新聞の記事だ。リンクにすると程なく消えてしまうので、全文引用する。
農林水産省は22日、19年度予算案で認められなかった海外の優良和食店を認証する 新制度について財務省と復活折衝を行い、2億7600万円の全額が復活したと発表した。 同制度をめぐっては、米国メディアで「スシ・ポリス派遣」などと揶揄(やゆ)されたほか、前日 の自民党政調審議会でも「政府が認証するのはおかしい」などと異論が相次いだ。事業の内 容は変わらず、「認証」を「支援」に名称変えし、あきれた復活となった。 この制度は、海外で「和食店」でありながら、和食とは懸け離れた料理を出す店が増えて いる実態を踏まえ、「本来の和食」普及のために一定基準を満たす店に何らかのマークを付 与しようというもの。 事業名は、「海外日本食レストラン認証事業」だったが、復活折衝で「海外日本食優良店調 査・支援事業」に。さまざまな異論に抗しきれず「認証」を引っ込めた格好だ。 松岡利勝農水相は「認証と言うと許認可を与えるような印象。(認証されなかった店を)排除 する意図はなく、誤解のない名称に変えた」と説明している。 しかし、同省には国内外から賛否両論のメールが殺到。海外メディアも、「日本がスシ・ポリ ス派遣」(ボイス・オブ・アメリカ)などと疑問を投げ掛けていた。松岡農水相は予算復活に、 「思いをかなえていただいてありがたい」と意気込むが、2億7600万円の予算に「国費を使う ようなことか」(自民党議員)などの声が根強い。
まさに最後の自民党議員が言うように、3億円近い税金の無駄遣いに他ならない。
そもそも、「本来の和食」とは何か、そしてそれは国がお墨付きをするような類のものなのか、ちゃんちゃらおかしい。それならば、国内の方が、よっぽど不思議な和食の店はいっぱいあるはずだ。
だいたい、「本来のイタリア料理」「本来のフランス料理」など、言いはじめたらきりがないし、料理など、時と場所でどんどん変化するし、変化するべきものなのだ。
こういう、あたかも伝統を守る的な視点に立った、ただの既成概念への執着こそが、「改革、改革」と口だけ言っている日本の政治の、非常に象徴的な姿だ。
おそらく日本料理界でも、どれほどの人が賛同するのだろうか?
テレビでは、アメリカの和食レストランの社長のような人が、「魚の裁き方も知らない料理人が料理をしている」と言っていた。それは料理人の技量の問題で、「本物の和食」かどうかとは別の次元のお話だ。
和食が伝統的な和食で勝負するかどうかは、ここの店の立場だし、努力だ。万が一それがアメリカで受け入れられないのなら、節を曲げるか撤退するか、それでもがんばるか、それしかない。国がどうのこうのということではないだろう。
アメリカ人がアメリカ人の口に合うように和食にアレンジを加えたり、アメリカの料理に和食のテイストを加えて、「和食」と言ってのけることが、果たして嘘だろうか?
そもそも和食とは何だろう?
和牛と国産牛のように区別できるものだろうか?
辞書で引くと日本料理とか、日本風の食事としている。おそらくとても曖昧なものだ。
誰かが定義付けをしているかも知れないが、どれほどのコンセンサスを持って、社会に受け入れられているだろう。
私たちは、和食の店に行くと、「刺身」「天ぷら」「すし」などを想像する。あるいは懐石料理などもそうだ。確かにそれらは日本食だ。しかし、母親が作る煮物やトンカツ、焼き肉、等々、それらも海外ではなかなかお目にかかれない料理で、日本食だ。
いずれにしたとこれで、何が和食か何て言うことはこの際問題ではない。
国が乗り出していって、あたかも文化の保護でございと言ったような顔をすることとがおかしいのだ。
こんな事が解らない農林水産大臣には、早々に職を辞して欲しいと思ったりもするが、これは実際、他の誰かがなってもそれほど変わらないところが、日本の政治の怪しいところだ。
いずれにしたところで、こういうことにNoと言いたくても、Noと言えないのが政治の世界だ。
一体、選挙でNoと言えないこういう事に、我々はどうやって意思表示をしていけばいいのだろうか?