故・双子山親方の死去後、毎日、貴乃花と、前若乃花の話題がニュースで流れない日はない。こんな話題がほぼトップニュースで流れているのは、多少なりとも平和な証拠のような気もするが、その影で教室に爆弾を投げ込んだ高校生のニュースなどもあるので、一概にそうとばかりも言い切れない。
花田家の騒動は、いわば他人の家のことだが、亡くなったのは初代貴乃花、話題の渦中にいるのは息子の花田勝と貴乃花、ということになると、世間は放っておけないらしい。
時折世の中では、遺産相続ということが争いの種になるが、財産が多いのも考え物だ、などということに、そういう場合はなるわけだが、今度のことは必ずしも遺産の多寡には関係ないようだ。よく夫婦は他人という。血は水よりも濃いという言い方もする。その割に生みの親より育ての親という言葉もある。かように人間関係というのは肉親であろうが他人であろうが、時に難しく、時に断ち切りがたいほど強いこともある。
結果的に人はそれ個人が単独なのだ。どんな場合でも、生まれるときと死ぬとき、それが双子であろうと、戦争で一気に死のうと、その個々人の生や死が単独であるように、その人生も単独だ。そしてその単独の人生が様々な他の個人と絡み合っているのが社会であり、それが家族であるかどうかというのは、多くの場合、幼い頃から共に暮らしているという点か、そうでない場合は、自分の遺伝子はこの両親の物なのだという確信が、何らかのその人の考え方に影響を及ぼしている。それ以外は他の他人と一緒だ。
二十歳で結婚し、20年経てば、親子と夫婦は多くの場合、共に生活した人間は同じ年数になる。しかも直近は夫か妻と言うことになるので、その精神的な繋がりはそちらの方が強かったりするだろう。
貴乃花と若乃花を見てみると、相撲では明らかに弟の方が才能があり、実力も上、横綱になったのも先で、在位も長い。兄弟横綱だからといって、兄はどこか引け目を感じる部分もあったろう。弟は父の名を継ぎ、兄は叔父の名を継いだ。この微妙な差が、何らかの形でずっと二人の間に影を落としてきたであろうことは想像が付く。
会社でも息子が兄弟で継いだりすると、意外に上手くいかない場合が多い。自ずと兄弟であっても能力に差はあるし、双方がそのことに向いているとは限らないからだ。若乃花が相撲界を抜けたのは、彼なりの人生観だったろう。相撲界にいる限り、彼は弟を抜くことは叶わない、そう判断したのではないかと思う。だが弟にはその点は理解できなかったに違いない。
兄弟が仲良くする。これはあたかも当たり前のことのように世の中では言われるが、そこに利害が対立したり、非常に厳しい競争があればそれも難しい。最も近いライバルが自分の兄弟であれば、その二人が仲良くするというのは、できなくはないとしても、困難を伴う。
勝負と生活は別、そんなものではない。例えば、できる長男の弟が、よく兄と比較されて苦しむなんていうのはよくあることだ。誰もがみんな、浅見光彦のように生きられるわけではない。彼は、東大を出て警察官僚の道を選んだ兄と常に母親から比較され、自ら俺はオチこぼれだと嘯きながら、飄々と文筆業に精を出し、行く先々で難事件を解決する。現実ではほぼあり得ないわけだが、それでも、できる兄弟と、それよりは劣る兄弟のそれぞれの生き様は、やはり違うフィールドの方が良いという、一つの示唆でもあるような気がする。
まあ、いずれにしたところで、追いかけ回すマスコミもやむを得ないとも思わないでもないが、いささか他人の家に土足で入っているという感が、こういうことに関してはやはりする。またそれに整然と答える貴乃花も、なかなか一筋縄ではいかない不思議な人物だ。
相撲業界という、どちらかと言えば伝統や格式にがんじがらめになっていそうな社会にあって、さてこの結末はいかに?というほど大きな事件ではないとも思うのだが。
そんなことより、突如効かなくなったうちの冷凍庫の方が大問題だ。
確かにできすぎの妹と人格者のその夫。それに比べ経済的余裕のない兄と無能で実家にべったりのその妻・・・勝負になりゃあしませんって<号泣(違)
兎にも角にも、冷蔵庫の入れ替えがまず速攻で必要ですな<爆笑