由比敬介のブログ
猿の惑星
猿の惑星

猿の惑星

「猿の惑星」をさいしょに観たのはいつのことだったろう?もう忘れてしまったが、劇場公開時ではなかったことは確かだ。恐らく吹き替えのテレビだったような気がする。
 テイラー(チャールトン・ヘストン)の吹き替えが納屋悟朗の印象が強いのもそのせいだ。もちろん、納屋氏はチャールトン・ヘストンの他の作品もたくさん吹き替えをしているので、そのせいもあるかも知れない。
 普通話題になるラスト・シーンで私も驚いた一人だった。中学か高校の頃だったと思う。コーネリアスを近石真介、ジーラ(キム・ハンター)を楠トシエだったと記憶している。コーネリアスは他の人のヴァージョンもあるのだが(記憶では)、近石さんの方がしっくり来る。
 以前に「猿の惑星」シリーズがまとまったボックスセットを購入したが、これには吹き替えが入っていなくて残念な思いをした。
「猿の惑星(Planet of The Apes)」自体は68年の作品なので、私が9歳の時だ。これ以降、5年間で「続・猿の惑星(Beneath the Planet of the Apes)」「新・猿の惑星(Escape from the Planet of the Apes)」「猿の惑星 征服(Conquest of the Planet of the Apes)」「最後の猿の惑星(Battle for the Planet of the Apes)}の5本が作られる。
 宇宙飛行士テイラーの着陸で幕を開けるこのシリーズは、そもそも最初からこういうストーリーで考えられていたわけではない。一作目が受けたので、続編、続編となって、あの輪廻のような作品ができあがったのだ。
 原作はピエール・ブール。名前から解るようにフランス人作家で、「戦場に架ける橋」を書いた人だ。
 今更この作品でネタバレもないが、1作目の山は、なんと言っても、最後の最後に、自由の女神をテイラーが見上げるシーンだろう。ただ猿が支配する惑星の冒険譚を描いたのであれば、この映画はあれほど有名にはならなかった。ザイラスに別れを告げて、禁断の地域に足を踏み入れたテイラーが見たものがあるからこそ、続編が生まれたのだし、なぜそこに自由の女神が倒れていたのかと同時に、なぜ猿が支配したのかを、「ターミネーター」ばりのタイム・パラドックスを使って強引に仕上げたあれだけの作品になったのだ。
 70年頃のサイケデリックで、B級な演出も、今となっては素晴らしく見える。「続」は、最後の2作と共に、私はできが悪いと思っているが、最後の最後で、「猿の惑星」の最終話が実はこれなんだという演出をし、恐らくこれを最初に見た人は、「正・続」2編で完結という見方をしたに違いない。
「新」を見ると、なぜか私は「ダーティー・ハリー2」を思い出す。1話の逆をいった「猿の漂着」から始まるこの「新」はとても面白いし、ラスト・シーンも1話と同じくらい粋な終わりだと思う。
「征服」は、いかにもあの当時に描かれた未来ものという映像で、「新」との間に違和感を覚えずにはいられないが、恐らく1話では、演出程度にしか感じられない「猿は猿を殺さない」という台詞が、ベトナムへの反戦スローガンのように聞こえるから不思議だ。これと次の「最後」は、実はオチがない。3作目までに気づき上げてきたものを、どう帰着させるか、少なくとも「征服」はテーマがあったが、「最後の」はそのテーマを失ってしまった蛇足の作品になってしまっている。
 起承転結とよく言うが、「猿の惑星」は、まさに起承転結的シリーズであると思う。正・続・新、ここまでは、まさに起承転なのだ。そして言ってみれば残りの2作で結なのだが、実際には先ほども書いたように、「承」である2作目が、真の意味でのラストシーンと言うべきなので、微妙に最後の2作は威力がない。
 作品としては「新」で終わっても良かった気がする。それだけのインパクトを持っているから。多分配給会社の欲目だったに違いない。
 2作目ができが良くないというのは、猿が地球を支配するようになるという流れはともかく、安易に、放射能が生んだ「超能力者」という設定が、何とも作品をチープにしているからだ。
 それ以外は、「新」を作ることで、猿が地球を支配することに、言っての説得力を与えているからだ。但し、このパラドックスの放置は、SF的には破綻すれすれなので、それを押してもよく見えてしまう映画の力がすごいと思う。
 ティム・バートンが2年くらい前かな?リメイクしているが、あれに関しては、見るべきところがない。正直がっかりした。映像的にはきれいだが。確かに、今、68年のと同じ作品を作れと言われれば、無理がある。
 それくらい「猿の惑星」は、実は突っ込みどころがたくさんあるのだが(例えば、猿が英語を話す段階で主人公、解れよとかいろいろね)、そんなものは些事であり、この作品の評価をおとしめるものではないのだ。
 そういう意味では、ティム・バートンが描いたものは、その辺りの説明的整合性は、旧作よりしっかりしていたかも知れないが、それだけだ。
 ある意味、ああ、これで良かったのか、昔は。というおおらかさすら感じさせてくれるSFではある。

2件のコメント

  1. 【SF】『猿の惑星』/ピエール・ブール

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