受験シーズンです。
受験と縁を切ってから、30年近い年月が経ちます。独身なので、子供の受験とも無縁です。大学受験の後、試験らしい試験はほとんど受けていません。前の会社で「販売士」という、あまり意味の分からない資格を取れと言われたときくらいです。
そもそも資格ということには非常に無頓着で、取ろうと思ったことがありません。これまた前の会社で、衛生管理責任者というのと、防火管理何とか言うのを取りましたが、無試験です。
Youcanという通信講座のCMをよく見かけます。資格や特技なんかを通信教育で勉強するものです。
通信教育は中高生の頃、進研ゼミとイラスト、会社でなぜか翻訳と、先に書いた販売士を勉強したくらいです。翻訳は、SFを原書で読みたかったからですが、身に付きませんでした。
勉強とは勉めて強いると書きます。勉強を漢字辞典で調べると第一義に「困難なことをむりにがんばってやること」とあります。ある意味努力と同義ですね。私にとっては尤も苦手なことです。努力と、継続。この受験にとって尤も大切なことが、私は嫌いです。
のんびりのほほんと生きる。これが信条ですから。
尤も、口でそう言っても、一生懸命やるときはやらないといけないのは、人間当たり前のことです。
受験勉強は今でも嫌ですが、小学校から大学まで、17年間(浪人してるので)、もう少し勉強しておけば良かったな、あるいは、その頃覚えた知識を忘れないでいたら良かったな、と思うことは、社会に出てずっと感じていることです。
国語、算数(数学)、理科、社会ばかりでなく、音楽や美術などもそうです。大人になってからはなかなかできません。
国語や、政治経済などと言った教科は、実は大人になってからでも、自然に身に付くような気がしますが、他の教科は、勉めて自らに強いないとどうしようもありません。ましてや数学や科学は、既に頭に入ってこない部分も多いです。微積ももうちょっとまじめにやっておくんだったなあ、なんて思っています。当時は、社会に出て何の役に立つんだ?と思っていましたから。
しかし、「役に立つ」とは、収入の元になる仕事に直結しているということではないのだということを、当時は誰も教えてくれなかったような気がします。
もし仮に、30になって、急に数学に目覚めたらどうする?それから勉強しても遅いぞ。こんな台詞の方が、受験勉強としてよりも、直接心に響いたかも知れない。
尤も、私は数学は決して嫌いではなかったので、英語などよりは楽しかった記憶があります。人間、自分ができない者は嫌いになりますから。
受験というのが、高校や大学に受かるためのツールである間は、やはり多くの学生は楽しく勉強できないでしょう。何かこう、趣味を生かすための勉強であれば、楽しかったに違いない・・・・そう思ったりします。
楽典は嫌いでも、みんな必死になってギターを弾けるようになったり、コードを覚えたりする、っていうのと似ているな。
きっと受験生は、もちろんそれを楽しんでいる人もいるのだろうけど、辛い人の方が多いでしょうから、がんばれと言うよりは、いずれ大人になったときに、今の知識は、日常を楽しくする役に立つんだぜ、絶対。そう言って上げたい気がします。