由比敬介のブログ
遠く離れて・・・
遠く離れて・・・

遠く離れて・・・

私は今、東京の荻窪に住んでいます。いいところで好きですが、やはり家賃が高かったり、都会なりの住みにくさみたいなものも同時にあります。
日本という国は、あまり大きな国ではなく、カリフォルニア州よりも小さい。何となく思うんですが、稚内から指宿まで旅行する方が、カリフォルニアを縦断するよりも遠い気がします。もっというなら、北海道へ出張するのは、カリフォルニアからテキサスまで行くくらいの感じがします。例えば映画で、FBIやCIAの局員がニューヨークから全く別の、しかもアメリカ中部の田舎町に派遣されるとき、なんだかすごく近くて、秋田県の現場に本庁の刑事一課から来ましたというのと同じくらいの気軽さを感じてしまいます。
住まいとして適しているのは便利でのんびりして空気がいいところ。
何となく映画の気軽さで、どこかに移動できるなら、信州や、東北の温泉地、あるいは北海道と、自分の好きな土地で暮らしたいなあ、望みとしては星がきれいで、1年を通じて天気が比較的いいところ。余生は自家製の天文台で星を見て暮らしたい、なんて思ったりするわけですが、そうは簡単にいかないわけです。
でも、先ほどちょっとテレビでやっていたのですが、新幹線の通勤費を300万円も出してくれる村があるとか。その辺りに越したら、意外と望みに近い生活ができるのかもしれません。
まあそのためにはもう少し事業を成功させて、様々な問題をクリアしないといけませんが。


日本の狭さを考えるなら、ものすごく不便な山の中とか、自家用車以外に交通手段がほとんど無い海辺の村とかでなければ、概ねどこでも普通に生活はできます。これは車の免許を持たない私には重要なことで、せめてバスか電車に走ってもらっていないと、どこにも移動できません。(チャリがあるかな・・・・・)
生活に必要なものはどうにか手にはいるでしょうし、電話線が繋がっていればインターネットもできます。近くで買えないものはネットで通販できるし。私はあまり自給自足に向いていない人なので畑を耕して・・・・という生活はきっと不向きです。
家の周りにしばらく他の民家がないというのは、寂しさや、いざというときの大変さはありますが、私のような性格の人間からすると、しごく好ましい環境の一つではあります。
静かに夜っぴて星を眺めながら、悠々自適の生活が送れるならば、これは幸せなことです。日本が狭いおかげで、どこかへ出かけようとしても中央アジアの真ん中から北京を目指すような覚悟はいりませんから。
まあ、なかなか実現は難しいですし、生活が安定し、仕事も一段落ついたからと言って、将来そういう生活へ移行するとの確証もありませんが、ふと新幹線通勤を支援して村の分譲地に住民を誘致しようとしているというのを見て思いました。
あ、近くに温泉があるといいな。

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