今日のテレビで「モナリザ」はもう一枚あったという番組をやっていた。実は事情があって、最初と最後を見ていない。
ただ、あまりに世紀の大発見みたいな大げさな番組だったのでちょっと気になった。確かに、学会では昔から話題だったみたいな言い方のナレーションはあったが、全体的に、この番組のスクープみたいな扱いで、鼻についた。
「ダ・ヴィンチ・コード」のヒットもあって、タイムリーで、面白い話題だが、世界に先駆けて番組独占スクープで初公開、誰も見たことがないみたいな雰囲気を感じた。
たまたま手元にあるコリン・ウイルソンの「世界不思議百科」という本に、同じ内容が載っていて、しかもアイルワースの「モナリザ」の写真も見ることができる。これを見たとき、今日の番組同様、確かにこちらが本物というかジョコンド夫人を描いたものに違いないという風に思えた。この本の翻訳は1995年、原著作は1887年出版になっている。
そもそもピューリッツァがこの絵を手に入れたときに、所蔵品ばかりか家まで手放したというくだりで、この絵の価値が解ろうというもので、科学的な分析が最近されたというのであれば、そういった歴史的経緯をしっかり流し、番組が発見したかのような作りにするのは、川口浩や藤岡弘。の探検番組のようで、それでいながらシリアスなドキュメントなので、どうも納得いかなかった。
この絵が確かに公にダ・ヴィンチの「モナリザ」として認められてなく、今回詳細な研究の結果それが公表されることになったとしても、この「モナリザ」が、歴史の闇の奥深くから出てきたような謂いは、ダ・ヴィンチの絵に対して「暗号」という言葉でミステリアスなものを付加していくのと同じように軽薄な気がする。もちろん、「ダ・ヴィンチ・コード」は小説だから関係ない。
こういう番組を見ると、テレビというものの底が知れるようで、今回のライブドアとフジテレビニッポン放送の問題も、それがいいかどうか分からないが、旧態依然とした放送業界が変わるのなら、ライブドアがんばれとさえ言いたくなる。
今回の放送のようなものも、実は十分ジャーナリスティックである訳で、そういう意味では中途半端や誇張はない方がいい。
もちろん、内容そのものは盛り上げるに十分な内容だから、それはそれでいい。だが、そうするあまり、世紀の大発見のような言い方をしたところから、実はジャーナリズムの嘘が始まるような気がする。実際にはそれほどひどい番組でもないし、カラーのアイルワース版「モナリザ」を目にできたのはそれだけでも面白かったからこそ、そう思う。
NHKのその時歴史は・・・のように、番組なりの新しい切り口を時折見せても、それはそれ、学説としてきちんと出されていることを前提としているのは楽しんでみられる。今回も、もう少し煽ることを止めて、しっかり作ってくれたら、もっと良かったな。