由比敬介のブログ
北京オリンピック
北京オリンピック

北京オリンピック

 北京オリンピックが開幕した。
 開幕まで、様々なことがあり、なぜか競技の第1日目から市内で殺人事件が起こったりもしている。
 聖火の採火式からこの方、チベット問題で揺れた。あの騒動はどこへ行ってしまったのだろう。ダライラマと中国政府が話し合って、簡単に解決する問題でもないだろうし。同様な問題がウイグルにもある。
 尤も、毎日どこかで暴動が起きているなどというお国柄を、隣の国であっても、オリンピックがなかったら、今でも知らなかったかもしれない。
 とはいえ、オリンピックはスポーツの祭典であることは間違いないわけで、これまでも多くのオリンピックが政治的に利用されたり、果ては中止になったことがあったとしても、やはりスポーツの祭典なのだ。
 オリンピックで戦う選手たちには、基本的に政治問題はあずかり知らぬことだ。ただ、オリンピックを利用して、チベットの人権問題等に、世界の注視を呼び込もうとする企てが、必ずしも間違っているとは言い難い。何故なら、聖火リレーの妨害だからこそ、より多くのマスコミも集まるのであり、そのことで初めてチベットやウイグルなど、中国が抱える人権問題を知った人も多いに違いないからだ。
 ただし、目的が手段を正当化するわけではないので、行為として正しいかどうかはまた別の話だ。必ずしも正しくはないが、意味のある行動ではあるわけだ。
 ところがいざ開幕式を迎えてしまうと、それらのことから人の興味は遠のいてしまう。
 
 イスラムのテロ組織から爆破予告があったり、未来から来た人間が北京オリンピックは行われなかったと証言していたり、結果的にやはり北京の大気は汚れていたり、開会式会場で観覧している人よりも、警備の人数が多かったり、応援は横断幕や同じ服装がだめだったり、何とも異例だったりエキセントリックだったりするオリンピックで、競技以外の興味も、大きな祭典だ。
 と言っている間に、谷亮子が銅メダルに終わった。
 日本人であれば、あの3度目の指導が谷だけに与えられたことに不満や不審を持つ人が多いのは間違いないだろう。ただ、「誤審」ではないし、明らかに両者とも互いに攻めあぐねていたので「やむを得ない」ということか、それに文句を言う人は比較的少ない。
 国内の選考大会で敗北を喫しながら、代表に選ばれ、尚かつ金メダルを取って当たり前という期待と責任を負わされた谷という選手にとっては、攻めないことが負けに等しいのだという、見る側にもより厳しい目があるのかもしれない。
 実際に、代表選考大会で勝利した選手を生かせなかったことに言及しているブログなども多い。
 こういうことはタラレバだし、そもそもこれまでの5大会でメダルを取り続け、世界大会でも勝ち続けてきた選手の功績という物は、やはり大きいのだ。
 だがそれとは別に、オリンピックの柔道は面白くない。負けないことが勝ちになる試合というのは、格闘技などには向かない。ましてや審判という人間がその勝利を判定する競技は、その競技が本来持っている魅力が十全に出されるためには、その競技が本来どういう競技であるのかを根本に据えたルール作りをしてくれないと、面白さは半減する。
 逃げても逃げても、有効、技あり、一本という攻めから相手を打ち負かすこと以外で勝利を決めるというのは、面白くないし、選手自体、フラストレーションではないのだろうか。
 記録を競う競技は、基本的に、人より早く、人より遠く、ということ以外に勝ちはない。柔道で言えば、投げにしても寝技にしても、相手を負かすというベクトル以外で、勝利を決めないようにすれば、どれだけ面白くなるだろう。時間短縮など言わずに、決まるまで戦わせればいいのだ。
 水泳のように、複数日に渡って競技を行い、1階級1試合を1日でこなしていけばいいのだ。
 時間切れ判定なんて面白くない。
 尤も、自分が戦わないからこんなことを言っていられるので、テレビで観戦している無責任な意見であることは承知の上である。
 今回のオリンピックは日本の金メダルはアテネと比べても減りそうな雰囲気だが、こればかりは終わってみないと解らない。
 参加することに意義があるといったのはいったい誰だろう?
 もちろん、参加するためには相当な苦労があるはずで、参加できるだけでも相当な意義があるのは当たり前のことだ。ぼくなど、オリンピックどころか、校内の運動会でさえ、上位になった記憶はない。
 こういうことは、「努力すれば」どうにかなったり、「願えば」叶うわけではない。
 もちろん努力も必要だし、人間にとって、「願う」ということがなければ向上心も生まれてこないだろうから、必要ではあろうが、「努力」や「願う」力もまた、個人差があるのだ。
 中国という国は広大だ。その強大な国が共産党という一党で治められている。
 今回の開会式などを見ていると、逆に、だからこそできたのではないかという統一感や集中力みたいなものを感じる。
 中国という強大な国が、率先して、軍縮や環境に配慮する国になってくれると、地球の未来も少しは明るい気がする。・・・アメリカにはあまり期待できないからな。
 
 
 

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