日本でiPadが発売されて、ほぼ5ヶ月が経つ。iPadのようなものをメディア・タブレットと呼ぶらしいが(ショップの分類ではたいがいタブレットPCなどになっている)、iPad以外に既に数種類の機種が発売になっている。
アマゾンで見ると
本家
Apple iPad Wi-Fi + 3G ★64GB★ (海外SIMフリー版、日本式電源プラグ付)
の他に
SHARP Net Walker (ネットウォーカー) モバイルインターネットツール ブラック系 PC-T1-B
ハイテックシステム 12.1インチ Mobile Tablet PC (Touch) T231
世界初 アンドロイド搭載 7インチ インターネットタブレット (パールホワイト) – 新バージョン
English OS Toshiba libretto W105-L251, 7-Inch Dual Touchscreen Laptop 【並行輸入品】
などが並び、ヨドバシカメラを見ると
オンキヨーのTW
ハロッズ A7
なんて言うのもある。
また、これは前述のものとは違うし、そもそも日本語版はでていないので何だが、
Amazon Kindle
は、そもそもiPadがアメリカで販売されるまでは、ブックリーダーとしてはほとんど独占だったのだと思うのだが、それもあってか、iPadが発売されたとき、なぜか同類のもののように比較され、iPadの方が多機能みたいな言われ方をした。
でも、そもそも目的が違うので、そういう意味の比較はおかしい。
そういう意味ではiPadは、タブレット型PCなのであって、「電子辞書のいいやつ」的なキンドルとは全く違う。
iPadもどきがWindows7を装備していることでも解る。
さて、これらのiPadやもどきは、まだまだ新しいものもでるだろうし、改良もなされていくと思う。
しかし、パソコンとは違い、こういったモバイル環境で本が読めるというのは、かつて家を抜け出して、外出先で好きな音楽が聴けるウォークマンが、iPodのようなポータブルオーディオプレイヤーに変わったのと同様な変革をもたらす。
そもそもウォークマンが変革だろうと思うかもしれないが、そうではない。今回の変化は、せいぜい数時間分の音楽しか外に持ち出せなかったものが、極端なことを言えば、持っている音楽全てを持ち出すことができる時代が来たのと同様、これまでは鞄の中に数冊の本しかもてなかったが、家の本棚全部を持ち歩くことができるようになったということなのだ。
これまででも、ノートパソコンを持って外に出て、青空文庫のような著作権切れの作品や、ウェブ上で公開されている作品であれば読むことができた。だがノートパソコンは重い。また、起動にも時間がかかる。それに対し、起動も速く、重さもノートPCほどではないこれらのタブレットは、これまでよりずっと気軽に携帯でき、起動にも時間がかからない。最も不安な点は電池切れだ。紙の本では起こらないことだからだ。
それと、軽くなったとはいえ、iPadは700グラムもある。携帯する書籍としては、気軽でも何でもない。大判のハードカバーを持ち歩くようなものだ。もちろん、iPadやそれに類するタブレットは、読書専用端末ではない。だから、「読書」はあくまでその一部で、様々な別の用途と抱き合わせで評価すべき商品だとは思う。
そういう意味で、私はiPadを購入するつもりはない。iPadが実現している部分の多くはノートPCでカバーできるし、ノートの方が便利な部分もたくさんある。タッチパネルが使いやすいかどうかは個人差もあるわけで、文字を打つときのタッチパネルは、とうてい専用のキーボードには及ばない。
こういったタブレットに私が期待するのは、やはり読書の部分だし、そういう意味ではキンドルタイプの方が、よっぽど欲しい。300グラムは、ちょっと厚めの文庫本でもあるし、片手で持って読める。望むらくは画面がカラーになって欲しいし、何より早く日本語版が出ることを望んでいる。ソフトが充実すれば、ハードはキンドルだけではなく、様々な利点を備えた商品が出てくるはずだ。
今でこそ、iPadの注目が集まるが、私自身はよりキンドル的な商品の未来に期待している。もちろん、iPadのような商品は、今後様々な改良が加えられ、ノートPCとの境界も曖昧になりながら、発展して行くに違いないが、それは多機能型タブレットとしての発展だ。
読書を目的としたモバイルハードは、携帯電話では小さすぎるし、機能的にも多すぎる(iPhoneなどのスマートフォンでも大差はない)。メールやデータベース、メモなどのような昨日程度を付加し、読書に特化したハードが、一つのジャンルとして読書文化を形成してくれることを願っている。
つづく