レインボーというのはこの場合、私をハードロックの世界にのめり込むきっかけを作ったバンドの名前だ。レインボウではなくレインボーが、レコードメーカーの日本語表記だ。
75年のデビューで、84年に一回解散、95年にちょっとだけ再結成(名前だけか)という経歴です。
元々ディープ・パープルにいたリッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退、ELFというアメリカのバンドに参加するような形で「Ritchie Blackmore’s Rainbow(邦題:銀嶺の覇者)」がファースト・アルバムです。セカンド・アルバムを出す時、ELFのヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオを除く残りのメンバーを解雇、今は亡きコージー・パウエルを含む3人を補充してセカンドアルバム「Rainbow Rising(邦題:虹を翔る覇者)」をリリースしたのが76年でした。私が17歳の時、このアルバムを聴いたのが全ての始まりでした。
特に「A Light In The Black」という、LP B面の2曲目に収められていた曲が大好きでよく聴いていました。いかにもリッチーらしいリフと激しいコージーのドラム、そしてのびのあるロニーのヴォーカルが渾然一体となった、ハードロックはこれでいいんだぜ!と言わんばかりの8分を超える名曲です。この曲がなければ、その後の私のハードロックを皮切りとした洋楽への傾倒も、あるいはクラシックへの指向も無かったかも知れません。
作家の栗本薫はRun With The Wolf」なんて言う作品を初期の頃に書いてますが、このアルバムの中の一曲です。
なかなか発売されなかったライブ、そして「Long Live Rock’n’roll(邦題:バビロンの城門<アーチ>)」までが、私がこの世で最も好きな二人のヴォーカリストのうちの一人、ロニーが参加したアルバムです。ここまではLPも見開きジャケットでした。
ロニーが辞めて変わりにグラハム・ボネットが参加し一緒にパープル時代の盟友ロジャー・グローヴァーが加わった「Down To Earth」からは、曲もちょっとポップ指向になり、1曲の時間も短くなってきました。このアルバムにはホルストの「惑星」から、火星の一部をモチーフにした「Eyes Of The World」という曲があるのですが、2年ほど前に、着メロでこの曲を見つけた時にはびっくりしました。「All Night Long」や「Since You’ve Been Gone」なら解りますがね。
グラハムは1枚で抜けて、次の「Dificult To Cure(邦題:治療不可)」からは、ジョー・リン・ターナーが最後までヴォーカルを務めています。このアルバムはアメリカでも成功したらしいですが、後年ホワイトスネイクは1位になっていますから、同じパープル出身とはいえ、この点の勝負はリッチーよりもデヴィッド・カバーデールに軍配が上がったようです。
このアルバムではリッチーはタイトルにもなっている曲でベートーヴェンの第九の終楽章を恥ずかしげもなく弾きまくっています。私は苦手だ。
次のアルバムは「Straigt Between The Eyes(邦題:暗闇の一撃)」は、なかなかいいアルバムだと私は思っています。1曲目の「Death Alley Driver」は、「Highwaystar」みたいですが、それより成功していません。
そして事実上のラストアルバムとなった「Bent Out Of Shape」ですが、この作品は確かにレインボーの中にあっては比較的評価が高いのですが、ジャケットからはレインボーらしさはなくなっています。
ディープパープルからレインボーに入った人は多いと思います。パープルよりもリッチー色が強いようにも思えます。でも私はレインボーだし、これはクラシックで言えば私のマーラーに対するこだわりと一緒で「Rising」は私にとっては「復活」と同じくらい重要なアルバムです。そしてレインボーは私にとって、リッチーのバンドである以上にロニー・ジェイムス・ディオのバンドなのです。 ELFに始まり、レインボー、ブラックサバス、Dioと、彼のアルバムはどんなにつまらなくても買います。聴きます。
あの小さな身体から出る力強い声は、私を魅了してやみません。
この記事をきっかけに調べてみたら、こんな素晴らしいサイトを見つけてしまいました。
レインボー研究所