久々に輸入盤屋でCDを購入した。
モーツァルトの宗教音楽集ミサ曲13曲が5枚のCDに収まっている。5枚で1,985円だった。モーツァルトのレクイエム以外の宗教音楽は、あまり聴いたことがなかったので、まとめて聴けるように買った。
同じに5枚で1,985円のリストの管弦楽曲集も買った。昔は「前奏曲」や「マゼッパ」など、結構好きで聴いていたが、最近は、とんと聴かなくなった。タイトルを見て、つい手が出た。私はリストの「ファウスト交響曲」が好きなので、それも一緒に入っているのはうれしい。それと、前けら聴きたいと思いながら聴いたことの無かった「ダンテ交響曲」も入っている。
「ファウスト交響曲」は、昔、バーンスタインの演奏で、レコード2枚組で出ていたものを初めて聴き、一緒に入っていたボイトの歌劇「メフィストーフェレ」からのプロローグの方がより面白かったのだが、それでも、よく聴いたものだった。
たまたまタワーレコードのポイントが貯まったので、このリストは、もう一つのバッハとともに、購入というより、ほとんど頂いてきた。
バッハも宗教曲集で、ヨハネとマタイの両受難曲、クリスマスオラトリオ、そしてミサ曲ロ短調が入った箱で、こちらはなんと、10枚組で1,689円だった。税込なので、1枚単価にすると160円ちょっとと言うことになる。これって、下手をすると、1枚で売っている生のCD-Rの価格と大差ないのではないか?という価格だ。
確かに録音は古いが、初めてどんなものか聴くにはちょうどいい。何しろ1曲1曲がオペラ並みに長いから。古いと言っても、ヨハネ受難曲が50年というだけで、残りは58~59年だ。ヨハネ受難曲は既に持っているので、コレクションが1種類増えたと思えばいいわけだ。
実をいうと、私はバッハはほとんど聴かない。他の作曲家に比べたら、非常に少ない。むしろ、ラモーとか、パーセルの方がバロックの中では聴く方だ。
何となく苦手なのだ。しかし、聴いてみたいという気はある。そこで、こういう安価なCDは非常にお役立ちだ。
国内盤が出ると、必ずある程度の解説が付き、歌詞対訳なんかも付いたりして、恐らくこの程度のCDでも、5,000円以上にはなるだろう。それでも、1枚単価500円で超廉価盤という感じだが、1枚160円には敵わないだろう。
単価で言えば、もっと安いものもある。
ここでいつも思うが、どうして同じCDが輸入盤と国内盤と並んでいると国内盤の方が高いのだろう?いや、一見当たり前であるように思えるが、本当にそうか?
確かに輸入して、帯を付けたり解説を入れたりして高くなる理由が、あることはある。
だが、例えば1枚2,500円の国内盤が輸入盤だと、1,700~1,800円くらいで売られていたりする。約7掛けだ。現在ではこれば、レコード店の仕入価格よりも安いはずだ。
つまり、仮にAというメーカーの商品がBという国内メーカーから出ていたとしよう。これがCという販売店の店頭に並ぶ。
そうすると、AがBに500円で輸出していたとして、シッピング等で、700円くらいの価格になったとしよう。ここでBは、再加工して、解説を付けたりして、Cに対して1,800円くらいで販売し、店頭に2,500円で並ぶ。・・・・あくまで仮定だ。
実質は、AからBへは限りなくマスターに近い音源が行っているのかも知れない。
さて、では輸入盤店はどうかというと、商品を仕入れるわけで、原盤の単価が500円の商品であれば、単純に倍と仮定して1,000円で仕入れられたとしよう。こちらもシッピングは必要だが、1枚1枚運ぶわけで、こちらの方が経費は高そうだ。そこで、1,400円で国内に入ってきたとしよう。それが1,800円で店頭に並ぶ。
さて、販売価格はここで700円違う。それぞれショップの利益は輸入盤店が400円に対して国内盤は700円。
これはあくまで仮定としての話なので、現実がどうなのかは知らない。ただ、いかにも国内盤は、中間マージンで膨れあがっているという予測がつく。
もちろん、歌詞カードを見ながら音楽を聴く人や、解説を世みたい人にとってはありがたいのかも知れないが、それでも価格差は歴然としており、さらにいうなら、今回私が購入したほどの破格の商品は、国内盤ではまず無い。一部、クラシックであればNAXOSとかのレーベルが安いことがあるが、それでもせいぜい1枚800円と言うところだろう。メジャーメーカーの商品は1,000円が限界だろう。その録音がどんなに古くてもだ。特にクラシックの著作権は、少なくとも作曲に関する限り、非常に多くのものが切れているので、著作権として発生するのはいわゆる著作隣接権、演奏に携わった人への支払いだけのはずだ。
もう一つ、国内のCDは、それの録音が古かろうが、発売が2年以内なら、「再販」という制度で守られていて、市場価格は安くならないと言うことだ。そこが輸入盤と大分事情が違う。輸入盤の場合は、時には赤字でも売ることがあるだろう。
これは国内盤であっても、DVDなどは発売から時間が経つことで、安売りに回るものもあると言うことを見ていれば判る。恐らく秋葉原当たりでは、DVDの賞味期限切れは、仕入れ値を割っているケースも多いはずだ。
現在、著作権にまつわる商売というのは、音楽ばかりでなく、ソフトウエアや書籍、コミックなど様々な分野で、非常に大きな転回点に来ていると思える。
レコード店を例に取れば、例えば地方の小さなレコードショップでも、都会の大型店でも同じ価格で買えるということが、競争力を小さな店にも持たせるという錯覚の中で育ってきた文化だ。これは恐らく書店でも同じだろう。
しかし現在、インターネットで簡単に購入できるし、ダウンロードでコンテンツのみを購入することすら可能になってきている。最早、再販制度などという温床の元で、消費者にとっては独禁法違反以外の何物でもない仕組みを甘受していくのは、だんだんと時代遅れになっているに違いない。
もちろんそこにはいいことばかりはない。
だが、世の中どんな分野のどんな物事でも、万事いいことずくめで、関与する全員が利益を享受するような、そんな仕組みなどあるだろうか?ありはしない。だからそこ、商売のシステムは、それが消費者にとって以下に利益を生むかという点に立脚して、その上で以下に利益を販売側が確保していくかという点が競争力を生むのだ。
当然大きな会社が、基本的には有利であることはどんな業界でも一緒だ。
しかし実は、ソフトウエアだからこそ持つ、中小の利点というのもあることは、ずっと以前から言われてきた。
まさにこのCDの価格は、大手だからこそ展開できる金額には違いない。
しかし、業界がこぞって業界自体を保護するために競争力を阻害していくのは、実はエゴイスティックな論理ではないだろうか?淘汰されるものはいずれ淘汰される。
その中で生き残っていく、それが自然界でも人間社会でも、仕方のない現実なのだろう。だからこそ、共産主義や社会主義は結果的に瓦解していくのだ。
なべてこの世はアンバランスなのである。