由比敬介のブログ
宇宙の果て
宇宙の果て

宇宙の果て

 宇宙が閉じているか開いているかという問題は、ずいぶん昔から議論されていて、いろいろな本にも載っている。それは同時に、宇宙は膨張しているか、平衡状態にあるかという問題と同時に論じられる。
 ビッグバンという言葉は、今では金融についても言われるが、元々数学者のガモフが、宇宙の始まりについての理論の中で使った言葉だ。150億年(少しずつ時代によって変わっているらしい)前に、ある一点から宇宙が始まり、その後ふくらみ続けて、今のようになったという。今でも、宇宙は膨張し続けている。それは、遠くの宇宙がより速い速度で遠ざかっていることが観測されることで裏付けられている。
 問題の一つは、この膨張がずっと続くのか、どこかで収縮に転じるのかといった問題と、その広がりはどこまであるのかという問題だ。
 仮にこのビッグバン理論が正しいとすると(今のところほとんどの科学者は正しいと信じているらしいが、誰も見たわけではないので、直接証拠立てるものはないわけだが)、宇宙がある一点で始まり膨張を始めた。すると、時系列に沿ってその大きさが徐々に大きくなっていると言うことで、その大きさには自ずと限界があるはずだ。
 宇宙の地平線という言葉があって、それは地球の地平線に似て、観測できる限界を指す。地球は丸いので、一定以上の距離より先は光学的に見ることができない。同様に、光の速度は一定で、秒速30万キロなので、それ以上の早さで遠ざかる銀河は、観測できない。光がこちらに向かってくる速度よりも、銀河が遠ざかる速度の方が早いからだ。え?そんな馬鹿な。だってこの世には光より速い物はないんでしょう?・・・実は私もこの辺りはよく分からない。前に本で読んだが忘れた。
 いずれにせよ、その地平線を超えて、向こう側に銀河があるとしても、どこかに限界があるのは、ゼロから広がっていったのであれば、自明のことだ。ではその外側はどうなっているのだろう?
 哀しいかな人間は空間がないと言うことを理屈では解っても、現実問題としてうまく捉えられない。宇宙に外がないことを、空間に浮かぶ宇宙以外のイメージで捉えられない。無という概念は、無限という概念と同様、頭の中で再現させることは極めて困難だ。言ってみれば、このようなものという雰囲気で理解するしかない。
 この人間の限界が、私には非常に面白い。宇宙の果ては?と考えて、果てが想像できない。あるいは、果てまでは想像できるが、その向こうは想像できない。だって、果ての向こうですよ。・・・はてな?などとオヤジギャグを飛ばしている場合ではない。
 無限と有限という概念が、この世をどう形作っているのか、すごく不思議で面白い。お化けや、UFOなど目じゃないだろう。点の一角を指さして、このまままっすぐ行ったらどこに着くのか(重力で光が曲がって、元のところに戻るなんていうのは無しで)考えると、なぜだか幸せな気持ちになってくる。
 もしかすると、人生の究極の意義は、この不可知な多くの事象を思うことにこそあるのではないだろうか、なんていう気がしてくるのだ。

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