今日の夕方、運輸なんたらいう衛生を積載したH2ロケットが種子島から打ち上げられた。無事成功したらしい。1年半ぶりの打ち上げで、まずは良かった。
しかし、ロケット打ち上げの成功率は、欧米や中国の90%以上という成功率より、遙かに低いという。70%台だそうだ。
よく言われるのは予算の少なさだ。確かに、欧米に比べると、宇宙開発にかける予算は桁違いに低い。GNPなどを考えると、その予算費はとてつもなく低いということになるのだろう。
日本人はどちらかというと、目先の便利さや、政治家に利益を供与できるような公共事業などにずっとお金をかけてきた。結果が今の宇宙開発事業団なのだと思う。
もちろん、欧米の宇宙開発は、単純に科学的な開発という側面ばかりでなく、軍事的な側面も大きいから、軍事的な予算が極めて少ない日本は、それと比例するように宇宙開発予算も少ないというのは、ある程度理由は分かる。
しかしそもそも、宇宙開発が軍事的な様相を持つこと自体が、情けない。
科学は、戦争と技術革新を縄を縒るようにして進歩してきた。それは否めない事実だ。E=mc2という有名な公式が核爆弾を導き出すというのと同じに、大陸間弾道を可能にする技術と同じ分野で、人は月に足跡を印した。
だがどうしても、あるいは各国同じなのかも知れないが、日本は国家とその公的な仕事に携わる個人に必要以上にお金が流れてきたように思えて仕方がない。これは政治家もそうだし行政もそうだ。国家ばかりではない。地方の自治もそうだ。
経済成長の裏には、ある意味、無駄なことにはお金を使わないできた日本という国の特性がある。人工衛星を打ち上げるのは今となってはかなり重要なことだが、人を月に運んだところで、それがビジネスにならなければ、それほど意味はない。極端なことを言えばそういうことだ。
宇宙へ人を運ぶことが、意味のあることなのか無意味なことなのかは、恐らく運んでみないと判らない。
アメリカが月への飛行を止め、またシャトルの飛行も一時期減った。
21世紀になって、民間が宇宙に人を飛ばそうとしている。しかし日本は、まだ国家としても有人飛行を行ってはいない。ある意味、そのことも民間にさせるのが日本らしさかも知れない。
そういう意味では、livedoorの堀江氏などは、日本という国家が望む最も有望なビジョンを持った事業家なのかも知れない。彼以外の企業のトップの口から、ロケットを飛ばしたいというのを、私は聞いたことがない。
経済的な企業人ではない、別個のビジョンを持った企業人が、これからの時代を作っていくのではないだろうか。そして、やがて、地球人が宇宙へ行くというコンセプトが・・・・アメリカ人がとか、中国人がとかではなく・・・・一般的になる時代に、私は生きているだろうか?・・・・無理っぽいな。