由比敬介のブログ
永遠
永遠

永遠

 永遠という言葉がある。ふと文章の冒頭を考えたとき、何気なく私はこの「永遠」という言葉を頭に持ってくる癖がある。といって、そういう文章を書いたことは実は今回が初めてだが。
 永遠という言葉は永く遠いとかく。どこまで通じているか解らないその先を永遠という。
終わりのない遙かな向こうを永遠という。これは人間の頭で具体的に認識できない概念だと思う。
 諸行無常とともに、仏教には諸法無我という言葉がある。この世に常という物はなく、永遠不変も存在しないということで、定めし至言と言うべきか、確かに人の命ほど短くなくても、この宇宙とて終わりがありそうな予感はする。
 終わりを考えることは実はそれほど難しくないが、終わりの次に何があるのかを考えるのは永遠と同じく人の脳に余る。それは、実体のないものを想像する作業だからだ。
 ホーキングは虚数の宇宙というの想定して宇宙論を展開する。虚数とは、二乗してマイナスになる数字のことで、現実には我々の周りに存在しない。あるいは、存在を確認できない。数学上の論理的な数字にしか過ぎない。
 人の脳に余ることは、論理的にありそうだとか、言葉で説明することで実感するしかない。永遠も、虚無も、虚数宇宙も、そういった理解しか人にはできない。
 試しに永遠を頭の中で想像してみるといい、先が見えない空間や時間といった概念でしか、我々は捉えることができず、それも実は曖昧だ。真空というのは中に何もない空間だが、虚無とは空間さえない状態。果たしてそれが創造できるだろうか?人間は無意識に何もない空間を想像し、それ以上を考えることは「理屈として」しかできない。
 ゲーテが書き、ヴォルフが歌曲にしている詩がある。「人間の限界」という。
 ここでは神と比して、力足りない人間を描き、無限の連鎖を歌っているが、神が本当にいるのなら、永遠を理解するだろうか?人間が理解できる永遠は、すごく永い時で、それ以上ではない。
 永遠という言葉に思いを馳せる時、私は神すらその足下にひれ伏すであろう、不思議に胸が震える。

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