由比敬介のブログ
夏休み
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夏休み

 東京周辺の小中学校はほとんど今日から夏休みだ。
 7月の下旬から約40日間の夏休みというと、始まる前は長そうに思うが、意外に早く過ぎてゆく。宿題などもあり、早く終わらせようと目論んで失敗した人も多いのではないだろうか。私などは最初から早くやることを無理だと思って、いいかげんに取り組み、いつだったか親父に相当怒られたことを記憶している。
 今の子供たちはしないのかも知れないが、私が小学生の時は、7月中はラジオ体操だということで、毎日早起きさせられた。カードにはんこをもらうのだ。
 この夏休み、いったい何のためにあるのだろうか?
 事典によれば、「高温多湿な時期に、児童・生徒を正規の授業から解放し、その心身に休養を与えるために設けられている。」と言うことだそうだ。まあ、暑いから休もうと言うことだろう。暑いと何かと効率も落ちるし。であれば、夏休みの中途半端な宿題もいらないような気がする。
 高校時代に(これは友人などにはよく話すので今更の話なのだが)、夏目漱石の「こころ」の読書感想文という宿題が出た。私は読まずに、読まなかった理由を作文にして出した。その時の先生は、その作文に対して点数をくれた。今でも感謝している。
 私は多分「こころ」を読みたくなかったし、めんどくさかったというのが最大の理由だが、その頃から「文部省推薦」とか、学校のお仕着せの推薦図書と名が付くと、それだけで読みたくなかったのを覚えている。
 読書感想文というのは、本を読んで感想を書くわけで、その意味は分からないではない。勉学としても意味があろう。だが私は、少なくともその課題図書という考え方に反発してきた一人だ。好きな本を読んで感想文を書けで十分だと思う。たとえそれが漫画でも、感想文は文章を書くわけで、目的は達せられる。読解力という意味なら、漫画にだってそれは必要だ。漫画でなくても、好きな小説やエッセイでもいい、取り敢えず興味のあるものを読ませた方が、よっぽど読書は好きになる。
 その上で、読みたい本がなかったら、この中から選べということで参考図書を呈示してやるといい。
 私が大嫌いだった読書を好きになったのは、友人がSFを貸してくれたからだ。あれがなければ、長い間私は読書嫌いだったと思うし、こんな文章も書いてはいない。むしろ、小学校の国語ほど辟易するものはなかった。
 今年も全国で夏休みを謳歌する子供達が沢山いるのだろうが、私の頃よりも、塾だ予備校だと、きっと大変なんだろうなと思う。子供に自由に遊ばせろとも思わないが、せっかく学校に行っているときにしか味わえない長期の休みだ。楽しく過ごしてもらいたいものだ。

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