現在の選挙制度は小選挙区比例代表制というものだが、以前から疑問に思っていることがある。
小選挙区と比例代表の2つの方式を採用している意味は分かる。完全小選挙区であれば、共産党や社民党などはほとんど議席を得ることができなくなる可能性があるだろう。それを、政党支持率によって議員を確保するというのは、合理的でもある。
しかしよく解らないのは、小選挙区と比例代表の重複立候補という汚いやり方だ。小選挙区制というのはガチンコ勝負で、1票差でも負ければ議員にはなれない。これすごくシビアな選挙だ。しかしそれが、比例代表に名を連ねることで救われ、議員になることを可能にしている。選挙区で「No」を突きつけられても議員になれると言うことだ。そしてそれを「国民に選ばれた」などと言っている議員は少なくはない。
おかしな話だ。「おまえは落ちたのだ」と言ってやりたい。
政治は国民のチョイスを、政党の意図でねじ曲げているとしか思えない。そうでないのなら、選挙区から出なければいい。もちろん、勝ち負けのための戦略であることは解るが、どうも納得できない。特に、せいぜい数千票差で負けているならともかく、1万票以上負けても当選できる。おかしなシステムだ。
いろいろな意味で霞ヶ関は変わりつつある雰囲気が見えている。
変化が全ていいわけはもとより無い。だが、「誰よりも自民党を愛している」などとのたまう造反と言われる議員達は、そもそも何のために議員でいるのかを考えて、そのような愚にも付かない発言をしていただきたい。「自民党をぶっ壊す」と言ってきた小泉純一郎の人気が高いのは、そもそも「自民党など愛していない」からだ。政党などは政策を実現するための器に過ぎない。損なところに変な愛着を持っているから、「既得権益」などということを言われるので、その辺の小理屈すら解らない人たちに政治をやって欲しくない。
ところで、新党「日本」とか「大地」とか、この辺りのネーミングもイメージ戦略なのかも知れないが、なんかださい。今日の「日本」の旗揚げは、何となくかっこ悪さだけが目立った。なんだか田中康夫がこれまでやってきたことを、帳消しにする効果すらありそうだ。
やっぱ、役人の手のひらの上で踊ってるんですよね、どっちにしても。必要だけど、きちんとした監査が必要、役人。神を信じないアジア民族には、何かしら拮抗し制御するシステムが必要だと思いますな。