最近、クイズ番組が非常に多い。分けても国語をテーマにした番組の多さに驚かされる。
曰く、漢字が読めるか、書けるか、ことわざ、言い回し、定型句等々・・・主に芸能人の知識を試すような内容になっている。
こういったクイズが好きな私にとっては面白いし、場合によっては難しかったり、始めて聞く言葉もある。一部は非常識なくらいに難しいので、トリビアと言っていいような場合もある。
しかし、流行とはいえ、番組改編期の10月中旬くらいにはどこもかしこも同じようなクイズで、問題が重複しているケースもあった。
元々漢字は書けない方だが、改めて書けないことを思い知らされたし、表現についても、意外に難しいことに驚いている。
というのも、おそらくは言語の変遷というのは、言語が伝聞などにより間違った伝わり方をしながら、変化していく中で、実は正しくない表現でも、多く耳にすることで慣れ、違和感を覚えなくなっているからだと思う。
言語学者や国語の先生には寂しい事かも知れないが、時代が過ぎゆくにつれ、定着する言葉も多いに違いない。
「ら抜き言葉」等は、ワープロが指摘してくれるが、裏返せば、それだけ多く使われていると言うことだ。ら抜き言葉でも十分生き(ら)れるのだ。
的を射るなどという言葉は、言葉の意味を考えれば「的を得る」など意味が通らないが、使う人は多い。
国語力の低下ということが言われるが、言語の最低限の意味というのはコミュニケーションの道具で、そういう意味では、これだけグローバル化した世の中で、世界情勢や未来を見たとき、国語よりも英語ができた方がいいと言うことも言えなくもない。
尤も、国語が持つ歴史や文化というものは別にあるわけで、それを憂うことは必要なことだ。
個人的には、漢字というのは非常に複雑多岐に渡るがために、日本語に多彩な表現力を与えているし、パズル的にも芸術的にも美しい言語だと思うので、できれば精緻に生かして欲しいと思う。
ただその中でも、書き順だけはどうでもいいなと思ってしまう。もちろん、学問的な意味では、例えば意味論とか、その起源や生成という意味で必要かも知れないが、小学生に覚えさせて試験でその記憶を等という意味では非常に無意味に思えてしょうがない。
こういったことが国語をつまらなくしている一つの要因にも思える。
私は国語はずっと嫌いだったが、最近のクイズは面白い。つまり、日常的に使っている言語であるから、興味を喚起することは必ずしも難しくないのだと思う。子供の頃から国語に興味を持たせることができれば、国語力の低下や衰退も実は防げるように思えるのだが・・・・
知らないこと多すぎで参ります。学校だけでは学びきれないっす。この歳になると、頭の体操にもなりますが・・・<爆
そうそう100円ショップ、安いんだか割高なんやら微妙なところですね・・・<こらこら