由比敬介のブログ
北京マラソン
北京マラソン

北京マラソン

 今日北京国際マラソンがあり、テレビでも昼間中継していた。知っている選手もあまりいなかったのもあり、見ていたわけではないが、あとでニュースを見て、優勝したケニアのチェロノという選手が、最後のところで近道をして、記録が無効になったと報じていた。
 どうやら800mくらい近いコースを取ったらしい。しかし大会の運営委員会は、後続のランナーに5分ほど差を付けていたので、記録を無効にして優勝としたらしい。
 Yahoo!のニュースによれば、日本の関係者からは、失格にすべきだという意見が出ていたと載っていた。日本人選手の順位に影響するので抗議すべきだという事らしい。
 しかし、ゴール近くで順位が拮抗していたのならともかく、後続との時間差を考えて運営サイドが取った処置は、非常に妥当だと、多くの人が思うだろう。
 ドーピングなどとは違って、既に歴然とした当日の実力差があるのに、敢えて抗議しようという発想は、この場合は飲み込んで発すべきではない。
 スポーツマンシップと勝負の結果論というのは、よく言われる2つの考え方だ。あらゆるスポーツが、単なるきれい事で成立しているわけではない。ゴール前でPKを取られれば、審判のせいにすることだって往々にしてあるし、かつて「巨人の星」で巨人2軍の紅白戦で、審判が見逃していた落球を自ら申告した星飛雄馬みたいな選手はあまり見たことがない。
 とはいえ、その折に漫画が川上監督に言わせた正論は、一つのスポーツマンシップの(若干意味は違っているかも知れないが)ありようではないかと思う。
 結果に抗議すべき時とケースを間違えると、かっこわるいものだ。
 ナベツネが、タイガースの上場問題で発した、上場が八百長の温床だというような発言は、そもそも違っていて、八百長の温床は、元々が勝負事という世界にあって、その部分にこそ内包しているのであり、それ故に関係者は矜持を持たねばならないのである。
 むしろファンだファンだといいながら、監督の首をすげ替えることを会社の人事だと言ってはばからないような、独善的なオーナーの方がありがた迷惑だ。上場がいいかどうかはしてみなければ解らないようにも思えるが、少なくとも今のプロ野球界には、球団をファンのものだと本気で思っている経営者がいるようには見えない。
 スポーツと栄誉やお金というのは切っても切れないもので、それはどんなスポーツも結果的に例外ではない。スポーツが持つどこか清々しいスポーツマンシップという潔癖姓と、それが時折生み出す莫大なお金は、本質的には相容れないように見えて同居しているので、だからこそ様々なところで問題が起きたりするのだ。
 ま、観る側にとっては、面白ければそれでいい、極めて無責任なことではあるのだけれど。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です