由比敬介のブログ
時間
時間

時間

 時間というのは何だろう?
 広辞苑を引くと「時の流れの2点間(の長さ)。時の長さ。」と第一義に書いてある。では、時とは何か?を引くと「月日のうつり。とき。「時間・同時」」と書いてある。循環参照だ。Excelでよく出るエラーだ。
 恐らく時間とは、言葉にできない、昔から今、そして未来という軸で人間が感じ取れる何かなのだ。
 よく、家に閉じこもりっきりになっていたりすると、時間感覚がなくなるという事を言ったりするが、これは「今が何時か解らなくなる」という意味で、時間の経過が解らないわけではない。
 この文章を書き始めてからこの行まで、明らかに「時間」として定義されている何かが経過した。
 この世の不思議は、どこまで続くか解らない空間とどこから来てどこまで行くのか解らない時間という似て非なるものが支配している。アインシュタインはこの世の中の定義を空間+時間の四次元であるとした。そもそも次元というのが数学用語で、我々が「四次元」という言葉から受ける印象とは大分違っていると思う。
 かつて四次元空間というと、空間を形成する我々の三次元宇宙とは違った(例えばヤプール人の住む)空間というイメージがあった、多分にこれは、マンガやSF、映画といった創作を見た印象から来ている。アインシュタインが四次元と言ったのはそれよりずっと昔のことだ。
 次元というのは1,2,3と、それぞれがそれぞれのベクトルと直交するようにできている。我々がいる空間は三つの直交するベクトル以上のものを表現することができない。つまり、四次元目の時間が残りの三つに直交しているとしても、我々にはそれを見ることも、頭で理解することも難しい。
 実際最近の宇宙論では10次元なんていうよく分からないものが定義されているし、しかもその中の6次元は畳まれているなんていう表現を使う。
 いずれにせよ、時間というのはそう言った宇宙論や物理学上の定義では、この世を形成する空間と同次元で捉えられる物らしい。
 時間は悠久の昔から悠久の未来に向けて、同じように流れているように感じる。というより、計って初めて時間みたいな感じもする。しかし、空間を移動する速度によって、時間の経過に差が出るとしたら、果たして時間というのは、単純に我々が感じている「何かの経過」という目に捉えられない「こと」であるのだろうか?
 光速に近い宇宙船が開発されて、宇宙を飛べば、いわゆる「ウラシマ効果」と日本では呼ばれている時間の遅れの現象が、宇宙船内では事実上発生するらしい。
 となれば当然時間の進みは一様ではないし、我々が日々感じている「時の経過」は、一つの物理的な量であることになる。
 非常に不思議だ。
 我々はこの世に生まれ、死ぬまで、誰もが同じ時間経過で(その長短は別として)、この世を生きている。誰々が同じ時間内に余計に時間を過ごすなどと言うことはない(そういう意味では、宇宙船の中でも、人の感覚には時の経過は同じなので、得するわけではない)。
 自分の知らない過去を、自分で知ることができないように、遙かな未来を体験することもできない。しかしそのどちらにも人や物は存在し、同じように時間を過ごしている。
 この世に人が生き、様々なことができても、時間を左右することはできない。この世のあまりに多くの不思議の前には、人が関わることの多くはなんと少なく、単純なのだろうか、そんな思いに駆られる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です