ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなった。
私はクリスチャンではないし、キリスト教の歴史にもそれほど詳しくない。それでも福音書は何度か読んだこともあるし、旧約も含めて、聖書のいろいろな箇所に目を通したこともある。最初はどちらかというと黙示録などの預言的書物としての側面で、おもしろおかしく読んでいたに過ぎないが、たとえクリスチャンでなくとも、聖書には学ぶべき部分は多い。
ヨハネ・パウロ2世の業績などをまとめて見ていると、聖職者としての素晴らしい生き様を通して、改めて感銘を受ける。
宗教というのは必ずしも愛と平和に色取られているわけではない。オウムなんていい例だ。私はイスラム教に関しては実際全く無知で、語る資格以前に語りようもないのだが、キリスト教徒仏教は多生書物を通じた知識がある。
そういう意味では、世界宗教となるにはそれなりの、つまりこれは信者でなくても納得できる内容を持っているものだ。キリストを神と思おうが思うまいが、心理の幾ばくかは必ずそこにある。そしてそれが法王をして、クリスチャン以外の人にもその偉大さを認めさせうる何かなのだ。
金持ちが神の国に入るのが、ラクダが針の穴を通るよりも難しい宗教だ。その含蓄にこそ、世界の平和のために奔走した法王の真価がある。私にはそう思える。
だが長い歴史の中では、その宗教こそが、戦争の原因となり、多くの不幸を生んできたのもまた事実だ。
宗教の定義がどうあれ、私はそれが、信者、ひいては人類の幸福に繋がるべき教義を持っているべきであると思うし、それを持たない宗教とは区別すべき言葉が必要だと思う。ヨハネ・パウロ2世が行い、そして理想としてきた人類の幸福が、一日も早く実現され、神に召された法王が、あの世で微笑むことのできる世の中に世界はなるのだろうか?