今日、夜の10時過ぎだったが、マンションの外へ出ると、カエルがいた。雨蛙ではなく、ヒキガエルだった。もちろん東京にもカエルはいるだろうし、以前住んでいた荻窪の家にはヤモリがいた。ヤモリは数日前に、近所の道路で見た。
同じ日、知人が、路上でカメを見たと言っていた。
なにやらは虫類と両生類のオンパレードだ。私はこれらと昆虫類は、あまり得意ではない。苦手といってもいい。なので、ペットとしてのこのあたりの生物は、私にはとうてい信じられない。
もちろん、ペットとしてのそれらを否定するものではないが、最近のニュースのように、凶暴なカメや毒グモなどが、街に突然現れるのを見ると、「なんだかなあ」と思わざるを得ない。
犬や猫とどう違うのか、あるいは鳥などと、と考えると、わずかでも人間とのコミュニケーションがとれるかどうかがその違いなのか、サイズの問題かよく分からないが、何かそのあたりに、境目があるように思える。
例えば、生き物を殺すことは、基本的によろしくないだろうが、それでも、ゴキブリは殺すし、スズメバチだって駆除する。シロアリもそうだ。一見人に害を与える生き物だからかと思うが、ではゴキブリはどうかといえば、必ずしも悪さをしているようには思えない。ただ気持ち悪いからだ。
いずれにしても、人は、どこかで区別をして、他の生き物を殺したり食べたりしながら生きているのだ。
仏教的な感覚で言えば、殺生をし続けているわけで、それは目に見えない微生物のことを考えれば、日常茶飯のことだ。それがこの世の習いだと言えばそれまでだが、あるいはキリスト教で言うところの原罪ではないが、そもそも人というのはそう言うものなのかも知れない。
精進料理というのがあるが、料理としての価値は別として、肉と魚を食わないからそれでいいということには、どうも納得し得ないところが昔からあった。植物だって生きているだろう。
ウサギを一羽二羽と数えて、鳥だから食ったなどという話も、言ってみれば本質がねじ曲げられている。そもそも人とは、少なくとも人以外の生き物の犠牲の上に生きていることは間違いないのだ。
尤も、「犠牲」という観念が理解できるのも人しかいないわけで、このあたりが、人が人であることの意味なのかも知れない。
最近ちょっと、哲学の入門書など読んでいるもので、ふとそんな思いが・・・