由比敬介のブログ
この世のこと
この世のこと

この世のこと

私は昔から、この世の不思議についてよく思います。
なぜ自分はこの世に存在するのか、なぜこの宇宙はあるのか?
そんなことが私の天文学や物理学への興味に繋がっています。ただ、では科学者を目指したかと言えば、幼い頃こそ天文学者になりたいと思っていましたが、少なくともずっと文系の道を歩んでいます。尤も、現在はコンピュータを仕事に選んでいるので、理系で飯を食っていると言えなくもありません。
今まで多くの科学に関する書籍や、番組などを見たりしてきまいしたし、哲学書まがいのものもかじってもみました。しかし、結論から言えば、所詮人間に答えの出せる問ではないのだというのが私の考えです。であればそこで追い求めるのを止めればいいようなものですが、近年いや増して興味は募るばかりです。
それは恐らく、自分の人生の意味や、社会問題、様々な自分を取り巻く環境の中にある理不尽さや不公平感といった問題に、より強く関心を持ち始めたからです。手相や、星の巡りや、果ては動物、色、あらゆる物で自分の性格や行く末を知りたいと思うようなものと、実は同種かな、なんて思ったりします。


自分が人生の半ばを生きてしまったと思ったとき、この人生にはどんな意味があるのかと自問してみました。それはそもそも、意味があるという言葉にはどんな意味があるのかと問うのに似て、無意味なことです。

そのことに意味がないことは2600年も昔にお釈迦様も言っています。しごく実践的な宗教である仏教の本質は、しごく哲学的な、生きる意味よりも生き方を、世の不思議よりも行動の規範を教えています。それこそは釈迦の悟りの一つかもしれませんが、私にはその釈迦が封じたとも言える不思議にこそ、興味があるし、それを問うことこそ、人の価値であると思います。

夜空の星を見て、なぜ光っているのかと思う。星の中心で核融合が続いているとすれば、なぜそのような形でこの世はあるのか、科学的なことを差し置いてそれに思いを馳せることは無駄なことなのでしょうか?確かに生産性はない。そんなことより明日のご飯の心配をしなくてはいけないかもしれません。
このカテゴリーは、その無駄なことをとことん推し進めようと思って作いました。
「我思う、故に我有り」自問自答して自分の存在証明を行ったデカルトの言葉ですが、人は今までなぜ存在するかを、少なくとも哲学的、思想的に証明できたことはありません。
この世の成り立ちと、有り様を、どこまで極めることができるのか、このカテゴリーはそんな場所です。読んでいる人がいたら乞うご期待。そして誰より、自分自身が乞うご期待なのです。

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