由比敬介のブログ
旅行
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 いつの頃からだか旅行は常にブームだ。
 家を離れてどこか違う場所に行くというのは、多くの人にとって楽しいことのようだ。だが、実は旅行が好きな人ばかりではないだろう。家にいてのんびりすることの方が何十倍もいいという人もいるだろう。
 また、旅そのものは好きでも、そういう旅が好きかとなると話は別だ。
 私は昔から、遠足とか修学旅行が好きではなかった。もちろん、行けば行った先で楽しむことはできる。だがそれとその旅行自体が逝く前から楽しみかと言えば、決してそんなことはなく、かえって憂鬱だった記憶がある。何事もそうだが、万人が共通で楽しんだり、いいと思ったりするのは大きな間違いだ。
 私はよくこの「うちでのこづち」で伝統などの問題に非常によろしくない表現を使うことがある。そのままストレートに意味を取ってはいけないが、「伝統は破壊するためにある」というマーラー名言葉を引用したりするが、言いたいことは、伝統であれ何であれ、ある程度の個人差を考慮した中で行き残していくべきだということである。
 修学旅行だって結果的には授業の一環のようにして強制的に行かされる。それを止めろとは言わないが、時には「行きたくない人」のアンケートでも採ってみてもいいような気がする。
 私は個人的には旅行が非常に好きだ。でも、一人旅や気に入った人たちと行く旅行に限るので、例えば社内旅行や、あるかどうかは知らないが町内会の旅行などは好きではない。サラリーマン時代も社内旅行にはほとんど参加しなかった。何しろ1年目から参加しなかったのだから、むしろ意固地と言うべきかも知れない。だが、旅行というのは私の中では余暇のためのものなのであり、そうであれば個人的な意志で参加不参加は決めなくてはならない。
 それが証拠に、個人的なグループ旅行はむしろ積極的に参加することも結構ある。
 一人旅が好きなのは、完全に自由裁量で、いつでも日程を変えることが可能だったり、帰りたいときは気兼ねしないで帰れること、等だが、よく一人で寂しくないかと訊かれることがある。
 一生誰とも話さず一人で生きていくわけではない。私が一番長くした一人旅は約2週間だったが、その程度で寂しいという感覚は全く起こってこない。そもそもそれも国内だから、行く先々で話す人はいるし、出会いもある。但し、ロマンス的な出会いは経験したことはないが。先日旅行ではないが小淵沢まで行く機会があった。私は荻窪なので、小淵沢は沿線沿いなのだが、そのせいもあって、快速で高尾まで行き、そこから普通列車で小淵沢まで行った。帰りは概ねその逆だ。乗り換えは大月だったが。確かに疲れたが、いい旅行気分を味わうことができた。駅弁も食べたし。
 旅を何のためにするのか?
 少なくとも私は違う土地を目にするだけで何かいい気分だし、空気も違うような気がする。きっとストレスが発散され、リラックスできているのだと思う。だとすれば、それを実現するために、どういう旅が自分にとっていいのか、それは一人だったり、愛する人だったり、気の置けない仲間との旅であるので、決して決まり事の旅でないことだけは確かなのだ。
 

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