世の中には古着や古本、中古CDなど、ユーズドという商品がたくさん出回っている。
洋服や家具など、多くのものが問題ないが、書籍とCDや、ゲームといった著作権がらみの商品がよく問題になる。つまり、知的財産の二次使用ということだ。
現状を見てみれば、暗黙の内に中古市場というのは黙認されているという気がする。確かに、中古業者というのは、「人のふんどしで相撲を取って」いるようにい一見見えるが、実はこの人のふんどしで相撲を取るというのがすなわち流通業であり、売り手と買い手の仲を取り持って利益を上げるという、非常に合理的な商売なのだ。そして裏を返せば、制作されたものは何であれ、流通しなければ意味をなさない。流通業というものが存在しなければ、作り手は利益を上げることができないのだ。
しかし中古市場というのは実は、売り手側が「製作者」ではなく、そもそも「買い手」なのだ。しかしこの図式も昔から存在する。それは問屋だ。問屋はメーカーから商品を仕入れ、それを直接顧客に販売する店舗に販売することで利益を上げている。
一つ中古を取って、著作権侵害という表現はあたらない。それが著作物であろうと物であろうと、いや、著作物もそもそも物として市場に出回るのであり、コピーやレンタルと中古市場が違うのは、根源で物がやりとりされるということだ。意匠という意味では洋服も家具も、そこにデザインという無形の価値がある。それは言ってみれば小説だったり音楽だったりと同じものだ。身に纏えれば何でもいいわけではなく、それなりに好みのデザインを選ぶことは、好きな文章や音楽を選ぶのと何ら違いはない。
むしろ流通が採算面で失ってしまう、廃刊や廃盤のカバーをしてくれる非常にありがたい市場だ。
購入する側は、新品の洋服でないと嫌な人がいるように、新刊でないと嫌な人もいるが、中古で何ら問題はないと考える人もいる。私自身は、新品で揃えたいものと中古でいい物は何となく線引きがある。例えばCDであれば、アーティストに対するリスペクトが、新品を購入したいという気持ちにさせたりといったことだ。
たまたま今日、ブックオフで何冊か購入してきた。安く買えてありがたいが、なかなか掘り出し物があるというわけではないので、中古市場もある程度棲み分けはできているのだろう。
先日、インターネットで遠藤周作の書籍を購入した。初出で600円という箱入りの本だったが、900円だった。恐らく今新刊で出れば、同じ体裁で2000円程度はしそうな体裁だ。ネットはこういう使い方ができるのもありがたい。
おっと・・・・代金を振り込むのを忘れていた。払いに行かなくちゃ。