由比敬介のブログ
置き石
置き石

置き石

 このところネットのニュースを見ると、近畿圏で「置き石」が増えているのが解る。
 あれだけの大惨事を見て、たとえ悪戯であれ、置き石をする人間がいるということが、あるいは今の日本を物語っているのかも知れない。もちろん、それは「今の」ではなく、これだけ沢山いる人間の、やむを得ない例外なのかも知れない。
 イラクでは、何人死のうがテロが尽きない。最早人々を殺害することで何を達成したいのかも解らないほど犠牲者が出ている。60億以上の人間が、この大地にはひしめいている。
 毎年5千万人以上が世界では死亡しているという。人口は増えているから、それ以上の子供が生まれていることになるわけだが、世界では、毎年人口の1割近い人間が入れ替わっている計算になる。
 数字というのは冷たくて、統計的に見ると、107人の犠牲者も、今年の死者数のわずか0.0002%でしかない。
 だが、その5千万人にも、107人にも同じように人生があり、貴重なはずだ。
 置き石では電車が脱線することはほとんど無いという。しかし、物事には何事も例外があり、原因があって結果がある。一つの石が、またも多くの命を奪わないという保障はないのだ。なぜ、そんなことをするのかという感覚については、多くの人が理解できないことだろう。だが、少しでもそういうことが減るようにするためにはどうしたらいいのか、我々は常に考えていかねばいけないだろう。
 何かのために、能動的に他者の死を求めることが、世界のあちこちである時代に、せめてその石を持たぬ軽挙が、人の命を奪うことがない世界を、作るための努力をたとえ意識の中だけでもまずは持って行くことが大切だと、改めて感じないわけにはいかない。

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