由比敬介のブログ
現代音楽-1
現代音楽-1

現代音楽-1

 ずいぶん昔に買った現代音楽の本を読んでいる。
 現代音楽は英語で言えばModern MusicまたはContemporary Musicと言うことになるだろうが、いわゆる日本で言うところの現代音楽というのはクラシックのジャンルに概ね限定されているので、Contemporaryという場合の音楽とは全くニュアンスが違う。どちらかと言えば、芸術音楽の中のModernというニュアンスかも知れない。
 この本ではポスト・マーラーという部分から入っているし、それは非常にオーソドックスな入り方だと思う。
 音楽に限らず、物事を論じる場合には、論じる対象やそれに関連した事象に関しての定義が、ある程度しっかりしていないといけない。そういう意味では、現代音楽というものを論じることの難しさは、現代とか音楽という言葉に曖昧さが残ることである。
 調性のあるなしとか、そういう機械的な区切りができるならともかく、ポップスとクラシックの境界線などというのは、時代が現代でなければ、多くのクラシックだって、ポップスたり得たのではないか。それは、現代のポップスが、クラシックと通常呼ばれる作品群の延長には無い(あるいは無いように見える)としてもだ。
 
 まあその辺りのクラシックとポップスの違いなどは、厳密に言ったところでそれほど意義のあることでもないし、曖昧さは常に残るので置いておく。
 さてそのクラシック音楽の延長としての現代音楽、すなわち、ポスト・マーラーであれ、19世紀のいわば後期ロマン派以降の音楽というのは、実は小中学校では全く教えてくれない。あるいは教えてくれたのかも知れないが、私は全く知らない。そもそもポスト・マーラーのマの字もなかったはずだ。
 マーラーの同時代人である中で、R.シュトラウスなどは20世紀に入って重要なオペラをたくさん書いているが、ポストの中には入っていない。どちらかというとワーグナーの後継者的で、行ってみれば後期ロマン派と言うことなのだろう。
 ある意味、シュトラウスの「メタモルフォーゼン」は、シェーンベルクの「浄夜」に似た響きを持っていて、シュトラウスはこれを1940年代に書き、シェーンベルクは19世紀に書いている。そして無調に入る前のシェーンベルクのこの音楽はまだ後期ロマン派の枠の中にいるというのも頷ける。
 マーラーに限らず、シュトラウスやヴォルフなどにも無調に移行しそうなあやふやな部分があるが、完全に調性を捨て、さらにそこから12音技法へと入っていくシェーンベルクの勇気はそこにはない。
 私は音楽家ではないし、まともに音楽教育を受けているわけでもない(高校までは音楽を専攻していたが、教える側の一生懸命さほど学んでいない)。クラシックを聴くようになったのは学生時代で、なぜかマーラーから入ったので(別の機会に書いたとおり)、現代音楽に入っていくのは全く辛くなかった。
 もちろん現代音楽の前に近代音楽なんていう言い方もあって、これは20世紀前半の音楽を指していたりするのかも知れないが、例えばストラヴィンスキーとか、バルトークとか、ドビュッシーとか、何となく、新ウィーン学派の行き方とは違う形で20世紀を迎えた作曲家を指しているようにも思える。何となくだが、音楽が調性を失って、12音、セリー、電子音楽、偶然性の音楽など、極めて実験的で論理的な分野に踏み込んでいくことで、現代音楽というレッテルを貼っているように思えさえもする。
 今回面白いと思ったのは、音楽がどんどん音を微分化して行った過程だ。いわゆる調性音楽は基底となるドの音から7つの音を、人間の耳がきれいに思える周波数で段階的に上がっていくことで、一つのグループを作っている。ドレミファソラシだ。これが不思議に一定の周波数差ではないから、時折半音だけだったりする。そしてこの半音しか違わない音があることから、全てを半分にして、半音ごとに上げていくと音は12になる。
 シェーンベルクが12音技法に与えた命題は、この半音階ずつの12の音を公平に使用し、それを組み合わせるという、ほとんどパズルの技術で音楽を作るという、直感だけでは音楽を形成できないような仕組みだった。だが、シェーンベルクをしても、例えばドとレの間を全音とするなら、半音階を公平に扱うという方法で行ったわけで、四分音とかはその理論の中で考慮されていない。半音があるなら四分音もあるし八分音もある・・・・という風に考えていくのは、行ってみれば円周率を求めるときに、限りなく細かく分割した長方形の対角線を作っていくようなもので、それは微分音となる。細かい四角の連なりが円に見えてくるのと同様、微分音は一つの線となり、トーンクラスターなどを生み出すことになる。トーンクラスター、つまり微分された全ての音が鳴れば、音程などというものは最早意味が無くなる。という理屈だろう。
 今回その本を読んでいて、これまでペンデレツキなどを好んで聴いていたのだが、そこに出てくるべったり塗られた楽譜のトーンクラスターが、しっかりした音楽の歴史の中で必然的に生まれてきたと言うことが、理路整然と解ったことに感動した。まだまだ本はせいぜい5分の1ほどしか読んでいないので、これからが楽しみなのだが、ああ音楽も奥深い、と思えた瞬間だったのだ。

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