由比敬介のブログ
SF
SF

SF

ぼくが最初にSFに触れたのは確か小学校6年生の頃だ。それまで読書が大嫌いだったぼくに、読書への目を開かせてくれたのが偕成社の子供向けのSFシリーズと、それをぼくに教えてくれた友人だった。彼とは久しく会っていないが、元気かな?
夏休みの宿題も含め、読書感想文を書かせられるのが大の苦手で、それはそもそも本を読むことが苦手だったからだ。それがSFを読み始めたとたんに変わった。面白くて端から読んだ。何を最初に読んだかも忘れたが、手元にはまだ、ラインスターやキャンベル、ウエルズといった作家のジュブナイルが残っている。
最初に買った文庫は覚えている。創元SFの「銀河帝国の興亡2」だった。中学生になっていたが、文庫は難しく、しかも2巻から読んだせいもあって、なんだか分からなかった。しかしそれでも、自分が文章を書くきっかけを与えてくれたのがその作品である。


ぼくは「横山光輝の世界」というホームページを作っているが、実は横山作品以外のまんがはあまり読まない。横山作品は概ね好きだが、中でもSF作品が好きだ。ところが、手塚治虫、石森章太郎辺りのSF作品こそ、少しは読むが、それ以外はあまり読まない。「SFは小説だ」という、かつて筒井康隆による「SF教室」に書いてあった一文が刷り込まれているのかもしれないが、SFが想像力を通常の小説よりもより奔放に使うためなのか、単純に意固地のせいなのか、ぼくにとってのSFの最も好ましい形態は小説である。
昨今は映画がかなりその領域に進出し、SFというと第一に映画みたいな雰囲気もある。それはCGやら特撮などで、文章で書かれた世界をあたかも現実にあるかのように描くことができるからでもあるが、実はかなり物足りない。優れたSF映画はたくさんあるし、見れば楽しいが、小説にあるはずの何かが大きく抜け落ちているようなことが多い。
例えば「砂の惑星」という映画があり、デヴィッド・リンチの猟奇趣味的な映像もあって、公開当時はかなり話題になった。そもそもあの小説を映画化するということにかなり無理があるが、その後にTV化されたものも含め、「スター・ウォーズ」の亜流のような作品になっていた。原作が持つ哲学的と言ってもいいほどの深みはほとんど無く、異世界はとても卑近なものとして描かれていたような気がした。それでも嫌いな映画じゃない。ただ、最近TVドラマ化されたものの方が面白い。
やはりSFは小説なんだというのは、僕の中のこだわりというか、知らない間に暗示のように居座る定理のようなものなのかもしれない。
最近はSFが少なくなった。というか、他のジャンルとの垣根が無くなり、薄まってしまったような気がする。「ハイペリオン」のようなシリーズもあるかもしれないが、科学がここ50年くらいの間に大分変わり、書きづらくなったということもあるかもしれない。
でも、少なくともSFは、一人の読書嫌いの子供に自分で作品を書いてみようと思わせることに成功しているのだ。
実は最近読んだ中で一番面白かったのは「誰も死なない世界」(角川文庫)という冷凍睡眠とナノテクを扱った小説だが、これもSFという位置づけではなかった。ちょっと社会派のような、近未来科学小説ではあるが・・・・角川文庫だったからかな。
でもなんだかとっても幸せになれる小説だ。宝くじを買ったときのような・・・・
え、意味不明?宝くじは当たると幸せでしょう。この小説も、あたかも実現しそうに思えるリアリティーがあって、しかもそれが幸せな未来なんだなこれが。でも、ふと考えると、宝くじに当たるくらいの確率のような気が・・・・まあ、タイトルから予測して下さい。

1件のコメント

  1. まだ続いてたんだ!!

    最近はまったくSF小説は読んでいません。
    でも、今日本屋に行ったら「ペリー・ローダンシリーズ」の303巻目が平積みになっていてびっくり。ハヤカワSF文庫がまだ…

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です