未成年は酒を飲んではいけない。誰でも知っていることだ。少なくとも日本では。
ではなぜいけないのかとなると、何となく、未成年の健全な発育が云々というようなご託が聞こえてきそうだ。
今日、夕方のニュースで、忘年会シーズンに奮闘する居酒屋チェーンの取材を放映していた。薄利多売でなかなか厳しいと言うことだ。
そんな中で、店長は入店の際に未成年チェックをしていた。若そうに見える人に、学生証などを呈示してもらい、拒否すれば入店を断り、未成年には酒を供さない旨を入店時に告知するためだ。最近の居酒屋さんは大変だ。私が学生の頃にはそんなチェックをする店はなかった。
さて、思うのだが、確かに未成年に飲酒は禁じられている。法律で。昨日や今日決まったわけではない。だがどうだろう。その法律を厳しく遵守させようとしている大人達は、どれほどの人が未成年の時に酒を飲んだことがないだろうか?もちろん、人数はたくさんいるだろう。飲めない人だっているわけだから。
酒を飲んで運転をしてはいけないという法律がある。これは、明らかに酒を飲んだ結果が事故に繋がる可能性が大きいから、誰が考えてももっともな理由がある。しかし、未成年の飲酒は、喫煙やエロ映画と共に、二十歳という区切りがどうも胡散臭い。
昔であれば、大学に入学すれば飲める人はたいがい飲んだ。親も文句は言わないことが多いだろう。当たり前のことだが、飲み過ぎは良くない。身体にも悪いし、端にも迷惑をかけることが往々にしてある。だがこれは未成年に対する戒めではない。酒を飲むすべての人に対してだ。
前にも煙草のところで書いたが、煙草が身体に悪いとすれば、大人も子供も変わりはない。より成長期の子供にとって良くないなどというのは、大人のごまかしに過ぎない。酒もそうだ。
二十歳を成人と決めたのは誰だろう?もしこれが古代の中国から来ているとすれば、誰も見直そうとしないのはなぜだろう?孔子に言わせれば30歳で成人でもいいのかも知れない。
この文章で、だから勝手に飲めとか、未成年を(結果的に)追い返した店長を責めたりしているわけではない。むしろ彼は、職務に忠実で偉い。
だが、未成年の犯罪が増加する中、なんだか、簡単なところだけをうまく守らせようとして、他はほったらかしのような感じがする。道徳という授業は、非常に退屈で、面白くない授業だったが、少なくとも子供心に何かを植え付ける役には立っていたと思う。人がいかに生きるべきか、いかに他と共存していくかを教えるのは親の責任であり、学校や行政、あらゆる大人の責任でもある。
18才が酒を飲みに行っても、きちんとした飲み方をする18才はたくさんいる。しかし、50才になっても「あんたは酒を飲むなよ」と思える大人のいかに多いことか。酒の上のことだからという無礼講の行き過ぎた事がまかり通ったり、酒の力を借りて女性に良からぬ行動に出たりと、確かに酒の力はある意味恐ろしい。だがそれと、20才は飲んでも良くて19才はいけないという単純な区切りでものを考えることは、自ずと違う。
まあ、法律で決まっているので飲まないに越したことはないが、自分が未成年に戻ったとして、非常に釈然としない決まりであることだけは確かだ。