由比敬介のブログ
殺人事件
殺人事件

殺人事件

 ちょっと忙しくて、ちょっとだけニュースなどから離れていた。
 テレビのニュースを見た時、どれがどの殺人事件か判らなかった。最近て、こんなに殺人事件が多いのか?そんな印象を持った。もちろん今日起きた事件ばかりではなく、犯人が逮捕されたものや、まだ殺人と断定されていないものなど、いろいろだ。
 あたかもニュースが2時間ドラマの連続紹介をしているようだった。
 昔からこうだったわけでは絶対にない。
 人の命の重さなど、人類がこの世に誕生し、そこそこの文明的な生活が出いてからは、さほど変わっているわけではない。自分を中心に、そこから順次軽くなっていくのだ。だとしても、人の命を否定するようになるのは、かなりのものだと言わねばならない。
 戦争はたくさんの人を殺し、少なくとも戦いを起こしている側には大義名分がある、という理屈がある。だがこれは、多くの場合、個人が個人を殺す場合にも同じ事が言える。意味もなく人を殺すというのはそれほど多いわけではない。
 正当防衛や限られた復讐(いかにテレビのミステリではこの、世の中では数少ない復讐劇が多いことか・・・これは作家の良心かも知れないが)を除けば、非常に利己的な犯罪がほとんどだ。多くは金のためだし、その場の怒りや、快楽のためなど、酌量の余地はあまり無い。
 個人的には、多くの戦争はこの部類だと思っている。
 第二次世界大戦という世界を巻き込んだ戦争が終わっても、世界は毎日どこかで戦っていた。今でもそうだ。
 そんな人類が、個人のレベルでも、やはり同じように振る舞う。
 悲しいことだ。
 100円のために殺されても、100億円のために殺されても、空から爆弾が降ってきても、個人の死は個人の死だ。病気であれ事故であれ、当然やむを得ない死というのはある。しかしそれを除いた死は、「事故」というカテゴリーに無理矢理押し込めてしまってはいけない。
 
 人の死がこうたくさん転がっていても、世界の人口は増えている。寿命が延びて自然死が減った分を何かで補おうとしているかのようだ。
 人類という主が、防衛的に数を無意識で減らそうとしているようにも見える。
 いずれにしても、こんなに多くの殺人事件がある世の中は、どうしたら無くなるのか、真剣に考えた方がいい時代なのだと思う。
 

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