由比敬介のブログ
オン・デマンド
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オン・デマンド

 私が加入しているケーブルテレビでは、デジタルサービスに加入すると、「オン・デマンド」サービスが受けられる。これは、映画などのコンテンツを、見たいときに見たいものを購入してみることができるサービスだ。
 光ケーブルを利用したネットサービス会社でも同じようなサービスが始まっている。
 簡単に言うと、自宅にいながらソフトのレンタルができるというようなサービスだ。
 人間がますます無精になるサービスだと見る向きもあるかも知れない。しかし、やがては、エンターテインメントの多くが、回線を通じて自宅で手に入る時代はそこまで来ているという感を強くする。現在は、ケーブルであれば、数十MB、光なら100MB/SECのサービスだが、ギガバイトやテラバイトのサービスも、そう遠くない時期に実現するに違いない。
 さて、このオン・デマンドサービスだが、私自身は加入しているわけではない。デジタルサービスに加入しても、今以上にチャンネルが増えたとして、見るかどうかとなると疑問だからだ。
 また、購入したからと言って、その日に見るかというと、私の場合は至って疑問で、例えばレンタルビデオであれば、録画してコレクションにして後で見る事が意外と多い。そうなると、借りたはいいけど見ないで返すレンタルビデオみたいに無駄なことになりかねない。なぜなら、コピーできないからだ。
 著作権の問題は重要だが、こういう部分はどうも判然としない。そもそもレンタルビデオで、1本300円から500円で見られるものが、市販では1000円から5000円くらいするわけで、最大10倍近い価格差がある。これは、レンタルが、見たら返すという前提で、もう1回見たかったら、もう1回借りると言うことを前提としている。そういう人も多いだろう。
 しかし、しっかり録画しておく人もいる。多くのビデオがそうだった。DVDになって、私はほとんどレンタルを利用していないので何とも言えないが、デジタルだから録画ができないというのは、釈然としない。
 コンテンツビジネスというのは、コンテンツを売るという視点に立てば、レンタルとパッケージの価格差は、基本的にパッケージの有無であるべきで、賞味期限みたいな考え方は私は好きになれない。
 インターネットでダウンロードして曲を買うことが可能だが、その多くはSonyのAtracという圧縮技術で圧縮されたもので、CDに書き込みができない。どうも技術の押し売りや、作った側のルールに従え的な押しつけがましさを感じて、愉快ではない。
 録音装置を売っているのもSonyならコンテンツを録音できないようにしているのもSonyだみたいな図式である。この根底には、性悪説がある。ダウンロードしたやつは、勝手に回りにばらまくということだ。
 ある意味これは真実だが、レコードやテープの時代は、これで上手くやってこれた。
 あたかも、テレビの自主規制みたいな物で、昔は放映できたが今は許されないみたいな、人間が偏狭で猜疑的になっていく時代の流れみたいな物まで見えてくる。
 さて、このオン・デマンドサービスだが、一見便利なようだが、まだまだ成熟しているわけではないので、コンテンツの数は異様に少ない。最低でも、1000以上のタイトルが並んでいてくれないと魅力的ではない。また、昔から見たことのある角川映画みたいなものが相変わらずラインナップの初期の多くを占めていると、それだけで食傷だ。これらの映画が悪いわけではないが、一目して契約の順番みたいなものが透けて見えてくる。
 まあ、こういう文句は今多からこそどんどん言って、それが文化の発展に寄与するのだ。そうでなければ下らない愚痴にしかならない。
 だが、実は下らない愚痴にこそ、消費者の求めるニーズがあったりする。そうやって世の中は動いていく。ある時代を境に、資本が世の中を動かすのではなく、消費者ニーズが資本を動かすようになった。飽食という言葉は言われて久しいし、実は不景気になると消えていく言葉だが、それでも今の不景気は飽食の上に成り立っている不景気だ。
 オン・デマンドなる需要が供給を決めるシステムは、まさにこの飽食の中にこそ上手くはまるビジネスのような気がする。

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