由比敬介のブログ
市町村合併
市町村合併

市町村合併

 愛知県の美浜町と南知多町が、新市名と合併の是非を問うて行った住民投票で、新市名がどうのいう前に、合併そのものに住民がNoを突きつけた。まさに両行政府にしてみれば、青天の霹靂のような結果であろう。
 そもそもこの合併反対の大きな原因を作ったのは、「南セントレア市」という新しい市名だ。両町は、合併後の市名を公募から選ぶとしたが、その候補にない「南セントレア」で決定したために、批判が続出した。
 この程度のことを予測できないところが、実は甘いのではなく、行政の不審を買う最も大きな原因、「おれたちゃ、司ってんだぜ」なんだと思う。これは一見、腰低くしながら、結果的に住民を見ないことで、態度はまさに横暴なのだ。
 公務員をよく公僕というが、「しもべ」とまでへりくだる必要はないにしても、少なくとも、住民全てが「お客様」であるという視点で、行政サービスという商売をしているのだという認識を、政治家も含めて持つべきだ。
 商売は、お客に見切られたら、収入を断たれるが、国家から市町村まで、税金は有無を言わせず取る。これを搾取と言われないためには、しっかりとした顧客主義で、いかに住民の需要を読み取っていくかが必要だ。
 あたかも店長がその会社の社長の顔色をうかがうように、地方の政治家や自治体が、国や総務省の顔色ばかりをうかがっているようでは、そこの行政は住民のためになるとは言えない。補助金などをえさにぶら下げて、合併をやたら進めている国もどうかと思う。合併は、合併によるメリットが、それによるディメリットよりも大きいと判断ができる場合にすればいいので、猫も杓子も合併し、例えば、さいたま市のように合併して政令指定都市になったという理由で、議員の給料を上げるなどと言うことがあるとすれば、合併は地域の住民のためではなく、ただそこで仕事をする政治家のためだと言われてもやむを得ない。この例など、そんなことをしたら、議会が批判の的になることなど、火を見るより明らかなことで、逆に問うてみたらいいのだ。自分が議員ではなく、一市民だとして、仮に同じ事を議会が行ったら、それに賛成するかどうか。公の場でどう思うかをいうのではなく、自分自身の心にだけ問えばいい。
 確かに、いい自治体もあるだろう。それは、そこに住む全ての住民が、誰彼無く満足する政治を行うことはまず無理だ。利害関係が反する場合も多々あるはずだから。だが、まず守られるべきは、弱者からであり、一般市民であり、次に企業であり、最後に自治体だ。自治体無くして行政もない、企業無くして一般市民の生活もない、というのは一見正論にも見えるが、そうではない。集落があり、村があり、市や県、国があるのは、そもそもこの世の中で、ただ乱雑に人が自由気ままに生きていては、逆に不経済でもあり、発展もないから、まとめ役が出、やがてそれが政治に発展してきたのだ。
 ところが人類は何度も、頭に人を頂くと、それはリンカーンではないことの方が多いのだ。
 さて、南セントレアという市名に関しては、客観的に見れば、それほど悪い市名ではない。先頃開港した中部国際空港がすぐ近くにあり、その愛称がセントレアだから、それに関連した地名であれば、市の知名度も上がる可能性はある。
 議会の議事録を見ると、セントレアの登録商標がどうのという件りがあるが、そもそもそんなことが問題なのではなく、公募になかった市名がなぜか浮上し、それが結果的に市名として決議されたことにあるのだ。しかも、今回の住民投票にはまんまと「南セントレア」も候補に挙がって、住民の気持ちを逆なでしている。あきらめが悪いというか、南セントレアにしたかったのなら、そもそもやり口が逆なのだ。
 今回住民投票に出されたものを議会側から、住民投票で決めるようにし向ければ良かったのだ。案外南セントレアに決まったかも知れない。
 一度住民がその手法を含めて違和感を持った名前になるわけがない。
 例えば、セントレアのある常滑市は、中部とか東海に住んでいるのでなければ、最近の若者は「じょうかつし」とでも読み、「とこなめ」と読めない人の方が実は多いかも知れないという予測は簡単にできるが、「南セントレア」を「なんせんとれあ」と読むとは到底思えないので、単純に覚えやすいという事や、中部国際空港は、それなりに利用客も増えるあろうから、「ああ、あそこの南ね」みたいなイメージで解りやすいというメリットもあるだろう。
 知多町だって、知多半島がどこにあるか解らない人の方がきっと全国には多い。少なくとも、20代以下だったら、絶対多いはずだ。
 先日、「笑っていいとも」で、ガレッジセールのゴリが「取手市」という答えに(真ん中にてという感じが入る3文字の言葉という問題)、そんな市はないだろうみたいな反応をしていた。ことほど左様に、地理というのは意外に知らない場合が多い。
 都道府県を全て言えと言われても、言えない人も多いのだ。そういう意味では、南セントレアという名前は、今回とは別な意味で全国区になりうる可能性があった。
 いや、それでも、そもそも合併が白紙に戻ってしまったのでは仕方がない。
 住民の力が行政を決めることもあるのだ。
 日本の政治そのものも、国民を見ているようには到底思えないので、この小さな結果を敷衍して、一国の総理にも、政治と行政のあり方について、改めて考えて欲しい気がする。僭越ではあるが。
 
 

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