由比敬介のブログ
覚醒剤の密輸
覚醒剤の密輸

覚醒剤の密輸

 中国から覚醒剤を密輸しようとして捕まった日本人が事実上の死刑を求刑されたという。日本では考えられない重い量刑だ。
 しかしこれくらい重いと、殺人罪に等しいから、生半可なことでは犯そうと思わないかも知れない。
 13キロという覚醒剤が、末端価格にしてどのくらいか解らないし、どれほどの人数が使えるのかも知らないが、かなりの量であるような気はする。1回の使用で数グラムしか使わないとすれば、相当数の人間が何回も使える量だ。あるいはこの中の何人かが、自殺するかも知れない。殺人を犯すこともあり得る。とすれば、逆に今回の死刑は妥当な求刑となる可能性もある。
 悪意をもって人を殺せば、そしてそれが凶悪と判断されれば、国内でも死刑になる場合はある。ましてや求刑ベースならより多いに違いない。しかし、麻薬や覚醒剤を使用して、それが結果的に殺人に繋がった場合、それを売っている人間は、その殺人事件に関連して裁かれることはない。
 売人側としては、刃物を売っても殺人事件とは関係ないという同じ理屈で、関係ないと思うかも知れない。しかしことは、薬を打って事件を起こした人間と、薬を売った人間の双方に等しくあると思う。今回の中国での件は、まさにそのことを強く主張しているように思う。
 煙草でさえ、止めるのは大変なのだ。大麻や覚醒剤、ヘロイン等、法で禁じられているものの多くはそれ以上であることも予測が付く。そもそも、それを止められると思うほど意志が強ければ、最初に手を出さないだろう。
 もちろん、薬をやった人間が全て事件を起こすわけではない。1回で止める人間も決していないはずはない。だが、自分がどちらの側に転ぶかなど、やる前には解らない。それほど人間は強くもないし、薬物の与える影響は強い。痛み止めを飲めば頭痛は治るし、傷薬を付ければ、自然より早く治癒をする。薬とは元々そういうものだ。
 病気を治す薬だって、副作用はたくさんある。ましてや認可されていないのではなく禁止されている薬物であれば、尚更その効力や副作用、そして薬物の場合は依存性が高い訳だ。
 人生を棒に振るレベルであれば、百歩譲って個人の勝手という理屈も、成り立たないわけではない。だが、その害が他に及ぶとすれば、それは看過されるべきではない。そして、その結果がより大きな事件や不幸に繋がるとすれば、極めて思い罰をその製造や流通に手を染める者に科すことも、決して間違ったことではない。
 中国の量刑が最終的にどの程度になるのかは不明だが、それほどに重く見ることに、逆にことの重要さを再認識させられた思いがする。

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