由比敬介のブログ
「みどりの日」が「昭和の日」に
「みどりの日」が「昭和の日」に

「みどりの日」が「昭和の日」に

 4月29日、元「天皇誕生日」、現「みどりの日」が「昭和の日」になるらしい。そして「みどりの日」は5月4日になって「国民の休日」という、いかにも暫定的な仮称めいた休日がなくなる。
 まあ、どっちにしても休日なので、正直どちらでも構わないのだが、だからこそ、こんなどうでもいいことを議論している間に、もう少し重要なことがあるだろうという気がする。
 まれに見る予算案の早期通過を見ていると、結局日本は、こういう国なんだなあ、とつくづく思う。自分もいけないのだと思ってみるが、だからといって、明日から政治家になって世の中が変えられるかというと、それは自分の分ではないし、現実的でもない。
 しかし、たくさんの官庁や関連団体であれだけの無駄が叫ばれ、都心に3LDK、2~3万円というほとんど横領に近い宿舎を作り、それでも金がないと言って増税する政府と、それを阻止できない野党。そしてそれを甘受しなければならない自分自身という構図は、釈然としないながらも、結果的に天に唾して自ら浴びるに似ている。
 あなたの一票が日本を変えるという「チリも積もれば山となる」式な選挙のアドバルーンも、蓋を開けてみれば全く意味をなしていない。
 尤も、2大政党になって、自民と民主が拮抗したとして、ではどれほど二つの党に大きな差があるのかと言われれば、恐らく多くの有権者にはそれが解らないところにこそ、この問題の本質はあり、同時に、増税も、不景気もいやだが、それでも今の生活に大きな変革が訪れることには、むしろその方が大きな不安を覚える国民というものが、現状を作り上げているのだ。そう思えば、例えば過去の革命のように、あるいはもっと近くは海外の独裁を倒した革命のように、大きな変革は、必ずしも直近の平和と幸福を意味しないというのも事実ではある。
 緩やかな変革こそが、多くの国民の望むことであるが、それは一つには徐々に上がっていく消費税とか、少しずつ廃止されていく減税とか、結局大多数を占める国民に広く苦痛を背負わせることでしか実現できないのが今の政治だ。その中で、政治への信頼など築けるはずもない。
 例えばマスコミが取り上げる様々な問題を、そしてその問題に対する世論調査の結果を、なぜダイレクトに反映しようとする政治家がいないのか?私には非常に疑問だ。
「みどりの日」を「昭和の日」に変えるための立法を考え、議論する暇に、もう少し生活に根ざした部分で、国民の溜飲が下がるような立法をしてくれれば、大分違うような気がする。

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