古傷といっても心にある想い出とか、そんなんじゃない。たまたま知り合いの女性と話をしていてそんな話になった。彼女は子供の頃、自宅でハサミをふくらはぎに落として怪我をし、いまだにそこは傷跡が残っているという話だった。
実は私も小学校1年の時、図工の時間にお面に目を開ける作業をしていて(と記憶している)、左手の中指をハサミで突いた。今思うと、先生が慌てて病院に連れて行ってくれたので、かなりの怪我だったのだろうと思う。最近は少なくなったが、今でも時折その指はしびれることがある。
私は小学校2年の時に交通事故に遭い、軽トラックに数メートル飛ばされたことがあるが、その時の影響はない。まあ、その時は入院もしないで、帰ってきたので(鼻血だけだった)、影響が残っては困るが。
時折しびれると行っても、もちろん痛いわけではない。梅雨時は古傷が痛むぜ、みたいなかっこいいものではない。ただ、人間の身体というのは面白いな、と思う。前記の女性もそうだが、人間の身体というのは自然に治癒し、元通りになる。かつては転んですりむいたりすると、亀の甲羅のようなかさぶたができたりしても、いつの間にかきれいになっている。にもかかわらず、古傷の跡が残ったり、痛みやしびれという形で、数十年後まで影響を残す場合がある。
いったい治癒力というのはどういう仕組みになっているのだろうか?治癒し、元通りにしようというDNAの働きと、それを完遂させない何かというのはどこで分かれるのだろう?
ピアスの穴だって、しばらく付けていなければ閉じてしまう。人間の身体はそうできているのだ。
ある意味この不完全さと老化というのは、何か似たものを感じる。木は樹齢何千年というものがある。人の寿命はせいぜい100年だ。不老不死というテーマは歴史の相当初期から、現代に言いたるまで、多くの人が望んでやまないテーマだが、何かその不完全さということに意味する部分が解明されていけば、ある程度の不老不死(変な表現だ)も実現するのかも知れない。
終わりのない事象や、終局のない開始はないが、生物的な不完全さを、いつの時代か人間が解決するようになることはあるのだろうか?
生体組織って、環境条件が整うと容易に再生・壊死・変化します。今再生医療がニュースになっていますが、再生を行うためには再生したい組織の周囲環境(「場」と言います)を整えることをしてあげることが基本であり、つまりは人為的に増殖させた自己細胞を必要となっている部分に付けてあげることによって周囲を自分の細胞にしてあげることによって、失われた部分に自分の細胞が育つことが出来ます。ところが周囲が「自分」でなくなればなくなるほど、自分の細胞が育たなくなるため、再生が困難になると言うわけです。
ピアスの話はこれでご理解頂けると思います。さらに傷跡が残っているというのは、自分の細胞なのですが再生したのではなく、傷が単純に「埋められた」だけなので、いろいろ不定愁訴が出てくるといった説明になります。つまり自分の細胞だけど、粘土で穴埋めしたのに等しい・・・って言ったら言い過ぎかな?
治癒の話で興味深いのは、皮膚の外傷は「消毒しない、ガーゼしない」と言うのが新しくそしてより速くより元通りに治す(≒再生)考えです。本当にきれいにしかも痛みも少なく速く治ります。再生する「場」を整えてあげることだけを注意深くやるのです。
http://www.wound-treatment.jp/
↑ご興味があればご覧下さい。ちなみに当院では、粘膜の消毒はほとんど行わなくなりました。
追伸:URLを直接記入しないで文字や画像でリンクさせる方法(タグかな?)教えて~。しゃぶしゃぶの「温野菜」のリンク張りのことです。