由比敬介のブログ
ピアノマン
ピアノマン

ピアノマン

 ピアノマンが話題になってからしばらく経つが、最近出てきた情報はことごとく否定されている。
 ピアノマンといえば、どちらかというとビリー・ジョエルの曲を思い出すが、世の中には不思議なことがあるのだな、と思う。
 そもそも世界各国で報道されるようになって大分経つ。しかも、テレビ、新聞、インターネットで写真入りだ。何十年も前ならともかく、これだけ情報が伝わりやすくなっている世の中で、一人も知っている人がいないということの方が驚きだ。
 テレビなどで、未解決事件が解決したなどと言うのをよく耳にしたりするが、普通の人間生活を送っていたのなら、何らかの形で情報が入ってくるのではないだろうか?事実は小説よりも奇なりと言うが、まさにそれを地でいっているような事件だ。
 いったいどんな結末が待っているのか知りたいところだ。
 ところでピアノといえば、私は弾けないのだが、弾けるようになりたいと思う今日この頃である。
 数日前に楽典の本を買ったということを書いたが、その中に面白い記述があった。
 鍵盤で「ド」の音を出し、自分で「ミ」の音を出してみる。きれいな和音に聞こえたら、鍵盤の「ミ」を叩くと、自分の出している「ミ」とは微妙に音の高さが違うのだそうだ。これは平均律でピアノが調律されていることによるとあった。詳しい本を読めば書いてあるのだろうが、これは12音を正確に12に分けた半音の一つ一つは、正確にそのその音階を反映していないと言うことになる。和声的な意味で。
 和声というのは面白いもので、人間の耳に心地よく響く音の組合せがある。その心地良さに一定の範囲があるという風にも捉えられる。
 音は波であり、特定の周波数が特定の音に対応しているわけだが、実際にはその音と音の間には無限の音がある。カウエルが唱えたトーン・クラスターはまさにその無限の音を同時に表現することに近い。
 絶対音感というのがどの程度の周波数まで聞き分けられるものなのか知らないが、こういう人には、そういう微妙な音の違いというのが違いとして聞こえるのだろう。
 ところで、ドのシャープとレのフラットは同じ音だと思うのだが、楽譜にはそれぞれがある。また、ドのダブルシャープなんていうのはレだろうし、レのダブルフラットはドだろうと思うのだが、であれば楽譜にそんな記号がある必要はないと思うのだが、どうやらこれは雰囲気記号であるようだ。単純な音の高低ではなく、明るかったり暗かったりという要素を微妙に加えて演奏するらしい。
 いやはや、世の中いろいろなことが奥深い。ピアノマンのことも、「あっ」というような背景があるのかも知れない。未来や過去から来たとかね。

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