サービスという言葉は、解っているようでよく分からない言葉だ。英語の辞書の最初には「奉仕」と書いてある。続いて「役に立つこと」とか「尽力」とかである。
我々が日常の中でサービスという言葉を使うときには、言外にお店などで、「商品の対価以上の何らかのメリット」を指す場合が多い。特に値引きや量的な追加等を指すことが往々にしてある。あるいは、その対価で、他のお店に比べて、よりよい物、乃至はより多い商品量を得ることができる場合にいう。
確かに日本語でも「ご奉仕価格」なんていう表現は使う。奉仕というのはそもそも、報酬を考えないで人のために何かを行うことのような気がする。どちらかと言えば、サービスではなくボランティアに近いイメージだ。お店にとっては利益を減らす、すなわち報酬を削っての提供だから、「奉仕」と言うことになるのだろうが、奉仕という単語に暗黙に含まれているように感じる、高邁さがそこにはない。店舗のご奉仕価格はそれがたとえ利益を度外視していても、全体として利益を上げるための施策でしかない。店舗全体が利益を度外視していれば、遠からずその店は潰れてしまうからだ。
つまり、店舗がサービスという場合には、それは奉仕とか、ボランティアではなく、「顧客の満足度を上げて、いかに自分の店舗にお金を落とさせるかのテクニック」だと言うことになる。と言うことは、店舗にとってはサービスというのは「金ももらわないでこんなことをしているんだぞ」の行為ではなく、お金を頂くための付加価値なのだ。
先日荻窪ルミネのイタリアンレストランへ行った。そこそこ遅い時間だったのだが、とても混んでいた。食事が終わってしばらく話し込んでいたが、ファミレスではないので、コーヒーのお代わりとかは期待していなかったが、ラストオーダーも過ぎたからだろうが、店員が気を利かせて追加を注ぎに来た。そのタイミングと、一言添えながらの様子が非常に良かった。それだけでまた行きたいと思った。混んでいる理由は味だけではないだろう。もちろん、いつでもお代わりがもらえると思っているわけでもない。
サービスというのはこういうことだろう。商売にはこれが必要なのでサービス業と呼ばれるわけだ。
ところで、もしサービスの意味が、奉仕とか尽力というようなことであれば、行政こそが最たるサービス業であろう。「行政サービス」という表現があるが、行政全体がそもそもサービス業であるという視点に立って、業務を行う必要がある。ましてや、値引きなど無い税金を、消費者の意志とは関係無しに取っていくわけだから、より重い意味でのサービス精神を培ってもらいたいものだ。