由比敬介のブログ
小惑星の接近
小惑星の接近

小惑星の接近

この29日にトータチスという小惑星が地球に近づくらしい。
月までの距離の4倍に当たる155万キロの距離を通過するという。155万キロというと時速60キロの車で約3年かかる距離だ。影響はないというが、天文学的にはとても近い距離なのだ。直径5キロもあるそうなので、頭上に落ちてきたらきっとすごく痛い。死んじゃうくらい痛いはずだ。
実は、今年の3月には地球から43,000キロ、4月1日に6,600キロまで近づいた小惑星があったのだ。6,600キロなら、時速60キロで110時間、4日半でいく距離だ。だから今回のは大したことないと思う無かれ。この3月と4月のやつは、それぞれ30メートルと8メートルの直径しか持っていないのだ。今回のはスケールが違う。
隣の駅に落ちたとしても、これまでのは大変だ!で済むが(実際はほとんど燃え尽きてしまうらしいが)、今回のは、やっぱり痛いかも知れない。いや、きっと死んじゃう。
1億5千万年も繁栄した恐竜が滅びたのも巨大な隕石の衝突だというから、人類が滅びるのも戦争や食糧危機などではなく、星がぶつかるという、まずそうなったら避けられそうもない事故で起こるというのは、多くのSFや仮説で言われるごとくである。
「ディープ・インパクト」や「アルマゲドン」のように、ロケットで人が飛んでいって途中で爆破するなんて、あまり成功しそうにない。
「地球最後の日」という小説(映画にもなった)では、ぶつかってきた星がでかすぎてどうしようもなく、人類の一部が宇宙に逃げるという話だったが、運良くでかい星にくっついてきた衛生が地球軌道に乗り、そこに着陸するというお話しだったように記憶している。取り敢えず小説や映画ではハッピーエンドが主流のようだ。
隕石が落ちてきて人類が滅亡しちゃいました!なんていう作品はあまり受けないのだろう。
よく言われるのは巨大隕石の落下というのは1億年に1回くらいだから大丈夫という、確率論的には正しいが、通り魔に殺されるのは何千万人に一人だから安心しましょう、というのと同じくらい説得力もないし、同じくらい不運な結果だ。
ただ、通り魔と大きく違うのはみんな一緒に死んじゃうと言うことくらいだが、実はこの点はかなり大きい。
生あるものはいつかは死ぬが、それは個体に限らず、種や宇宙全般に関して言えることで、宇宙そのものに最後があるかは理論の域を出ないとしても、せめて太陽のような星には間違いなく寿命があるし、それは信用できる。
星が爆発したり、身近なところでは文化遺産を破壊したり、家を壊して更地にしたりと、何かの終演というテーマは身近にいくらでもある。あ、コンセントが外れたのかと思ったら、パソコン自体が逝ってしまった!!みたいに。
小惑星が上から降ってきて死んでしまうのなら、まあ諦めもつくし、一緒に死んでくれる仲間も極めて大量にいそうなのであまり怖くない。ピンポイントで屋根を打ち破って時々落ちてきたりする隕石では、泣くに泣ききれない悔いが残りそうだ。通り魔や、爆弾が落ちて来るというのは人為的な意志がどこかあるし、交通事故だって、万が一にも避けうる可能性を、人の行動に求めることができそうな気がする。しかし、そんな石ころに打たれて死ぬのは、不幸な偶然以上のものではあり得ない。
考えてみると、森羅万象とはよく言ったもので、この世のものは自分も含めて多かれ少なかれ何か見えない糸とか、エーテルとか、科学的な説明を超越した事象で繋がっているような気がする。実際にはそんな物はないのかも知れないし、因縁や縁起、運命という言葉と、確率、不確定性、統計などというのは実は同じフィールドの何かを別の角度から眺めているに過ぎないと思えることもある。
とにかく、小惑星が近づいてきて、思いを馳せる。あの小惑星に乗ってどこまでもみたいなロマンチックな想像に思いを馳せても、小惑星は一定期間に楕円軌道を描いてまた近づいてくる。次回はもっと近いかも知れない。6,600キロの記録を破る小惑星が、今回のトータチスを上回る巨大な小惑星で、近づきすぎて地球の引力に捕まってしまったら、世の中はどうなるのだろう?
映画やシミュレーションではよく聴いたり見たりする、大気圏を覆うチリと、氷河期。人類滅亡のシナリオと落下地点のどちらにいたいかで性格判断ができるかも知れない。
あなたはどっち?

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