今、夜中に世界水泳をやっている。柴田亜衣が女子の400メートル自由形で銀メダルを取った。
泳げない私にとっては、見ているだけでもすごいことだ。
だが見ていて思うのは、本番に強い人、本番に弱い人というのがいるのだな、と言うことも思う。
かつて岩崎恭子がオリンピックで金メダルを取ったとき、日本代表で出ているとはいえ、金メダルを取ると思っていた人はそれほど多くないに違いない。北島康介のように、やると言ってやることもすごいが、なかなか世界大会で実力を出せない人がいるのも確かだ。
アテネオリンピックでの山田沙知子などは、当時世界ランク1位だったし、彼女は日本記録なども持っているが、なかなか実力を出すことができない。
言い訳のように聞こえるかも知れないが、いつもと違う場所に行ったときに、緊張とは違う違和感で、なんとなく普段と同じことができないことがある。自分自身がよくそういうことを経験している。私の場合は、実力不足が原因であることは否めないが、その時の最大限が出せるかどうかと言うのは、トータルの実力がどうかということではなく、「運」という言葉を使いたくなるほど、上手くいかないことがある。
この世のことは全て不公平な部分から成り立っているので、水泳選手を目指すとすれば、全く同じ食生活、同じ練習量でも、結果はどこかで歴然と出るのだ。もちろん、だからこそ競争の意味があるので、勝つために努力しているわけだ。
この不公平というのは、最初から解っている部分と、最後まで解らない部分がある。であれば、努力も意味を持つわけだ。
全ての選手に、応援してくれる仲間や家族がいるのだ。少しでもいい成績、そして満足のいく泳ぎをして欲しいな、と思う。