由比敬介のブログ
美容整形
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美容整形

 今日、夕方の日本テレビのニュースで、数人がテーブルを囲んで短い討論をするコーナーを見た。途中から見たのだが、テーマは美容整形についてだった。自ら頑迷固陋という、よく日テレでニュースの解説をしている男性が反対派で、美容整形会社の女社長とバトッていた。月収1億円(見間違いかな?)の美容整形の院長が「ヒューマニズム」などという言葉を使うのが、どうも許せないらしかった。確かにその院長の「患者様」という表現には、自ら使うのが嫌だと言っていた「お客様」という臭いがぷんぷんしていた。
 確かに美容整形は保険適用外なので、お金がかかる。
 しかし、「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」という孔子の言葉を評論家の宮崎氏に引用させて、これを整形に反対する論拠の一つにしようとするに到っては、そもそも美容整形に関して論議する場にいるのもどうかと思う。私などには親父の繰り言にしか見えなかった。
 美容整形に対する日本人の(他の国のことはよく知らない)拒否反応の多くは、この例にあるような、どちらかと言えば儒教的なものの考え方が根底にあるような気がする。いわば、親からもらった身体に傷を付けるなとか、極端なことになると、自分に誇りを持てとか、人間は内面だとか、そもそも人間の価値うんうんという問題にまでその話題を広げてしまう。
 特に女性が美容整形に向かうのを否定するのは、「身だしなみ」とか言って化粧を許容乃至は進めるような社会がしてはいけないことだ。化粧もせず、人はすっぴんが一番!そういいきれるなら、その延長線上で美容整形を否定しても構わないだろう。
 人間が内面だという発言の裏には、美人はお高くとまっているとか、きれいな花にはとげがあるとかの、とりわけステレオタイプな物の見方がある。
 人間は、職業によって貴賎をしてきた歴史の流れの中で、ひどい差別を生み、今ではそれが多くの言葉をこの世から抹殺することでしかそれを是正することが出いなくなっている(いや、これは勢いで言い切っているだけだが)。しかし、平気で女をブスだといい、禿、デブ、ちび・・・いくらでも見かけで人を罵倒する言葉があり、時にそれは非常に差別的でさえある。
 現実問題としてそのことで真剣に悩み、気持ちが歪んでしまっている人だって沢山いる。そこまで行かなくてもストレスを溜めている人は間違いなく多くいるのだ。
 多くの子供が、歯列矯正を受けている。これはもちろん健康面でも意味があることだが、受ける側の多くは見栄えのために他ならない。
 犯人が容貌を変えて逃亡する等というのは、そもそも問題が違う。
 人が人生をよりよいものにするために、選んだ一つの道が美容整形であっても、いったいそれがなんだというのだろう?全く問題ない。
 問題なのは、ろくな技術も無しに看板を上げることが可能な現状であり、とてつもなく高額な費用が、時にかかるという現状の方だ。
 人類が病から解放され、永遠の若さを、肉体改造やDNAの調整によってできるようになるような、そんなバラ色の未来のために乾杯だ!

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