由比敬介のブログ
お盆
お盆

お盆

 8月13日から15日までは旧盆だ。東京などでは7月の同じ時期をお盆というが、地方では多くが8月に行う。
 お盆は正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、サンスクリット語のavalambanaが訛って、ullambanaとなり、これを音訳したものだという。ところがこの言葉の意味は倒懸(さかさづり)という意味を持っている。目蓮(釈迦重大で氏の一人。神通第一。マウドガリヤーヤナ・・・手塚治虫の「ブッダ」の中ではモッガラーナという名で出てくる)が、地獄に堕ちた母親を救うために、釈迦に教えられて供養したという伝説が元と言われている。
 日本では奈良時代倉から続き、現在では地方によってやり方も大分変わるらしい。
 
 私も実家に帰り、墓参りをし、迎え火を焚き、家では提灯を飾り、家に先祖の魂が帰ったと言って仏壇に手を合わせた。と書くと、すごく宗教酩酊見えるが、非常に儀礼的な側面もあり、同時に、彼岸と盆くらいはせめて自分の先祖に手を合わせて、こころを運ぼう、ということに近い。
 寺に行くと、同じように墓参りをする家族が多く見られ、風習に従って、お盆を過ごしている家庭も少なくはないのだな、と思う。
 お盆に限らず、仏教的な行事というのは、多く日本の習俗に根ざしていることが多い。それは聖徳太子などが仏教を守り、インドから中国伝来の宗教が、日本の中で変遷してきた様を見ることができる。
 よく日本人は無宗教だというが、裏を返すと、外国人は信心深いと言うことも言えるのかも知れない。日本には神道があるが、明治以降に国家が管理することで、何かうさんくささを備えてしまった感がある。そもそもは日本古来の宗教だろうが、かなり仏教などにも影響を受けているし、氏子などという、神社のそばに引っ越したとたんにその信者ではないが一部のようになってしまったり、不思議なこともあるようだ。
 どんな民族であれ、古来から宗教と無縁な民族はないのであり、日本は神道と、外来の仏教を中心に、今ではキリスト教などもかなり広く信じられている。たまたま今朝のテレビで石原慎太郎が自らを熱心なカソリック教徒だと言っていた。
 よく言われるのは、お盆や彼岸、あるいは時たまの墓参りなどで仏教徒である日本人は、正月には神社に初詣に行き、夏祭りで御輿を担ぎ、クリスマスも祝う。今では感謝祭や復活祭までやったりする。この辺りが無節操に外国人からは見えるのかも知れない。そして等の日本人は、墓参りは言っても無宗教だと言いきり、家の宗派は真言宗だ、曹洞宗だとも言ったりする。
 確かに無節操さは無宗教というに相応しいようにも見えるが、面白い日本の現実という風にも見える。
 私は間違いなく仏教徒だが、同時に仏教の非常に哲学的な面を素晴らしいと信じている。これは多分に、アーサー・C・クラークの影響もある。神を信奉する宗教が、強力な宇宙人の来襲などのより、全て嘘だと暴露され、ほとんど消えてしまっても、仏教は残ると、どこかで言っていたともう。
 なぜなら、仏教はその根本に於いて、人がどう生きるべきかの指針を、釈迦が覚ることで見いだした宗教であり、当時のヒンズー教や、様々な宗教との混交や、後の世の様々な人たちの手によって、それぞれ今生きている様々な宗派になってきたわけだ。そういう意味では、キリスト教の様々な宗派と同じと言うことになる。だがそもそも根本的に違うのは、根底に神を持つキリスト教と、人間が見いだした宗教という立場だろう。
 お盆のルーツは、今では別の説もあるが、いずれにせよ、先祖供養という点で、今の日本では定着しているように思う。そういう意味では、宗教的な側面以前に、自分のルーツである先祖に対する畏敬というようなものを持ち続けるという点に於いて、決して無意味な習俗ではないだろう。
 但し形式化された様々な点は、そもそも形式ということに取り敢えず反発する私としては、なじめない側面もあるにはあるが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です