由比敬介のブログ
ラ・ボエーム
ラ・ボエーム

ラ・ボエーム

 先日、知り合いの出ているオペラを観に行った。
 演目はプッチーニの「ラ・ボエーム」。若い人たちがやるには最適の演目の一つだ。・・・登場人物がほとんど若者だという理由ばかりではなく、非常に魅力的なメロディーに溢れているし、長すぎず聴きやすい。
 二期会という日本のオペラ界では中心的な団体で学ぶ人たちによる演奏だったので、期待しつつ、それでもエレクトーン伴奏だと聞いていたので、ピアノよりはいいのだろうけど、やはりオケではないから、オペラとしてはちょっと寂しいかな、等という思いを持ちながら、会場に向かった。
 場所は滝野川会館という北区の区の施設だ。500人くらいは入るホールだった。
 開演後まず驚いたのは、エレクトーンという楽器の凄さだ。十分にオケの代わりが務まるほどの音がするのだ。もちろん本物ではないから、細かいことを言えば違うのだろうし、時折電子楽器の音は確かにするのだが、弦も管も打楽器だって、その楽器の音でするし、たった2台のエレクトーンが、2管か3管か知らないが、フルオーケストラの音を鳴らすのだ。それだけでも予想を覆された。
 キャストは
 ミミ:高橋史惠 ロドルフォ:西村悟 ムゼッタ:吉田聡美 マルチェッロ:内田雅人 (初日)
 ミミ:江熊千恵 ロドルフォ:加藤康之 ムゼッタ:中川美和 マルチェッロ:榛葉樹人 (二日目)
 ショナール:千葉裕一 コッリーネ:金子宏 他
 という布陣で、指揮と演出は 細岡雅哉 ということだった。
 ボエームというオペラは、非常に甘いメロディーに溢れているし、中心となるのはミミとロドルフォの悲しい恋の物語と、他の登場人物との友情が19世紀頃のパリを舞台に描かれている。
 オペラの常で、ストーリーはたわいないし、かなりドラマツルギーに支配されたこてこての作品である。尤も、これはいい意味でであって、非常に直接的な「ドラマ」だ。全体がどうあれ、最後のミミが死ぬシーンが素晴らしいと、それだけで感動できる。
 プッチーニが書いたメロディーは、その死の場面のオケとロドルフォの絞り出すような「ミミー」という歌に向かって、全てが収斂していくのだ。そのためのオペラと行って過言ではない。
 4楽章のこのオペラは、構成的には交響曲的で、序奏とソナタの第1楽章、続いてスケルツォ楽章が来て、その後に緩徐楽章、最後にフィナーレという風に、非常に聴きやすい。
 ロドルフォとミミの恋愛という大きなテーマに、スケルツォで色を添えるムゼッタと、そのムゼッタが完全に浮いてしまわないように、常に脇を固めるマルチェッロという構成が、尚更交響曲っぽい。
 
 書く楽章に聞き所があり、一つはロドルフォとミミのそれぞれのアリアと二重唱、ムゼッタのワルツとも言われる2幕のムゼッタの破天荒なシーン、そしてラストシーンと、飽きさせない。
 私はそれほど会場でオペラを観た経験があるわけでもないし、これまではどちらかというとオーケストラ曲を中心に聴いてきた。もちろんその中には、最初から聴いているマーラーがあったおかげで、声楽に対するアレルギーみたいなものはなかったし(いや、マーラーを聴くまでは確かにあったが)、自分なりのクラシック音楽に対する対し方がある。
 今、「大いなる聴衆」というミステリを読んでいるのだが、これについては後日書くことにするが、この中には、私などがクラシックを嫌いになりそうなご託が、さんざん、特にクラシックサイドの演奏家等の口を借りて沢山出てくるのだが、私は非常に単純に、その演奏会に満足できたかどうかが指標になると思っている。
「聴く耳」というのは、不幸にして聴覚を失っている人たち以外は、誰でも持っている。つまりは、クラシックなど嫌いだという人にとたちは、聴く耳を持たないのではなく、どのような曲も彼らの耳を満足させ得ないのだと解釈すべきだ、と思っている。
 そういう意味では、コンサートに臨む場合、そこに好きな歌手や知り合いが出ているか、日頃から好きな曲かどうかということも、影響するのだ。
 そうはいっても、長く聴いていると、当然好みはあるし、この曲はこう演奏するのがいい等という、聴く側の自己主張も出てきたりする。また、一般的に言って、名演といわれているものは、より多くの聴衆を魅了するし、満足させる。
 そういう意味では、オペラシティや文化会館、サントリーホールなどで掛かる作品は、オペラであれ、何であれ、それなりのレベルと満足を聴衆に約束すべき義務を背負っている。
 もちろんだからと言って、今回のペラがそういう義務を背負っていないと言うつもりは毛頭無い。むしろ、これからプロの舞台を目指していく若手の演奏会だけあって、1回1回の演奏は、いつでも真剣であると思う。上演までは、数々の苦労を乗り越え、胃の痛む思いもしたことだろうと思う。
 しかし上演からはそのような苦労はみじんも感じられなかったし、皆のびのびやっていた。
 演出もしっかりしていて、きっとオーソドックスなのだと思うが、非常に感動的に、メリハリの利いた演奏を聴かせてくれた。彼らはやはり皆プロなのだな、と思わせてくれた。
 La gemma della musicaと名乗る4人の女性陣は、皆それぞれ、自分の個性で役を演じ、高橋さんは、ちょっと孤高な感じさえするミミを、きれいな歌声で歌い、吉田さんは、ちょっと上品なムゼッタを演じ、江熊さんは、どちらかというと癒し系のミミ、そして中川さんは吉田さんとは対照的な、派手で強気な、そのくせ根は優しいムゼッタを演じていた。
 個人的には二日目の方がコントラストがはっきりしていたので、オペラの流れから言えば、いいのかも知れないと思う。
 しかし彼ら自身が言うように、la gemmaという言葉が意味する「発芽」とか「宝石」という意味があるのであれば、まさにこれからが彼らの活躍する場なのだと思う。これからの4人と、その他の、既に活躍しているキャスト達、そして合唱の人たちもこれからの活躍に期待したい。
 恐らく、荒削りなところもたくさんあったに違いないが、少なくともここに、コンサートを楽しみ、満足していた聴衆がいることを知らせたい意味もあって、書かせてもらった。 

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