由比敬介のブログ
たばこ
たばこ

たばこ

 たばこについては以前も書いた。
 先日たまたま外で食事をしていて思うことがあったので再び書く。
 
 中華屋で食事をしていたときのことだ。隣の席に絵に描いたようなサラリーマンがやってきた。絵に描いたようなというのは、多分に私の感想であるが、席に着くなり、「ビールと餃子」しばらくして「ラーメン」といい、おもむろにスポーツ新聞を読み始めた。・・・これは私の知らない世界なのだ。
 間もなく私が頼んだ料理が来て食べ始めた。相前後して隣のおやじがたばこを吸い始めた。
 煙いな、と思った瞬間、頭に浮かんだのは、店員に「煙いから別の席に移っていいか」訊いたらどうか、ということだ。
 恐らく隣のおやじは不愉快な思いをすることだろう。だがちょっと待て、別に、目には目とは言わないが、少なくともその前に不愉快な思いをしているのはこちらだ。たとえそう言ったとしても、五分と五分である。
 また、こういうかも知れない。「言ってくれれば消しますよ」
 まだまだそんなことが言えるほど、たばこの市民権は小さくはなっていない。確かに以前に比べれば、信じられないくらいに小さくはなったが。ましてや今の世の中、そんな些細なことだって、刺されて死ぬかも知れないのだ。言えるわけがない。
 まあ、そんなことを考えながら飯を食った。そんなことを考えながら食ったから飯がうまくなかったとは言わない。それなりに上手かった。
 
 まだまだ禁煙の場所、特に駅のホームなどでたばこを吸う人も少なくないし、歩き煙草は減ったのかも知れないが、実感はない。
 私は歩き煙草などを、危険だからと言う理屈で止めようというのは、本意ではない。確かにそれは非常に重要なファクターだが、私にとっては不愉快きわまりないから止めてくれ、ということだ。
 テレビで誰だったか忘れたが、たばこを吸う人が全員、携帯灰皿を持った方がいいということを、非常にいいことを言っているといった風に放映しているのを最近見た。しかし携帯灰皿が解消するのは、ポイ捨てであり、本質的な部分は何も解決しない。しかもそれを言うなら、たばこばかりではない。
 つい先日も、サラリーマン風の集団が、私の少し前で、たばこの包装紙のようなものを破ってそのままその場で後ろに捨てていくのを見た。この、街中にぽいぽいものを捨てていく感性というのは、きっと何かの欠如だ。
 母親が、昔のような道徳教育がないことが今の社会の道徳観念がないことの原因だというようなことを言っていた。私は必ずしもそうだとは思わない。が、そういうシーンを見ていると、一理あるな、とも感じないではいられない。
 携帯灰皿を持てというのは、街中でも自由にたばこを吸ってもいいということを推奨するようなことで、私的には全く賛同できない。そういう意味では、携帯灰皿なんていうのは、この世になくてもいい、とさえ思う。
 たばこが身体に悪いというのは果たして本当だろうか?私が見るに、たばこの常習性というのは、麻薬的な何かがあるようにも見える。
 身体に悪くて、常習性があるのなら、さっさと法律で禁じてしまえばそれですむ。
 だが、嗜好品という言い方をするのであれば、また別の話だ。
 たばこというのは、恐らく歴史があり、そう言った嗜好品として捉える人が多いのがおそらくは最大の問題点だ。
 副流煙がどれほど身体に悪いのか知らないが、本当にそれが癌を引き起こしたりするのだったら、副流煙は凶器だし、それで死ぬ人がいれば、喫煙者は未必の故意の殺人者ということにもなりかねない。
 副流煙を徹底的に吸わせて、病気で殺害するミステリなんていうのは、効率は悪いが、殺人罪には問われないようにも思えるので、上手い使い方をする作家が現れたりはしないのだろうか?私ではそのアイディアは扱えそうもないが。
 友人が、「たばこを吸っていいですか」と訊かれて、「いやだ」と答えられる人がどれだけいるのか、というようなことを言う。まさに至言。あたかもたばこを吸うときの礼儀のように聞こえるこの言葉は、実は礼儀でも何でもなく、「これからおまえの前でたばこを吸うぞ」という宣言でしかないことに、どれほどの喫煙者が気づいているだろうか?
 多くの喫煙者の皆さん、気づいてください。
 私の部屋は禁煙なので、客が来てもベランダで吸ってもらう。多少失礼かな、とも思うが、この程度で壊れる人間関係ならいらないな、と思っている。
 ただ外では、上記の例ではないが、吸いたいという人にはどうぞという。何も言わずに、吸われても文句も言わない。それはそれで、今の社会では、私自身が、私の意見を、どこまでも貫き通そうとするには、私の考えは一般的ではないと思うからだ。
 だが、何でもそうだが、社会を変えるためには誰かが何かをしなければ始まらない。だからこういう場を借りて書く。
 ホリエモンという人は、私は昔からそれほど好感を持ったこともないが、彼は少なくとも、時折いいことを言っていたことだけは確かだ。世の中を変えていくことの重要性というようなことはよく言っていた。そこには賛同できる。
 彼が今回のようなことになって、あたかも彼の人生やものの考え方を全否定するかのようなマスコミの論調が時折あるかに見受けられるが、むしろその方が情けない。
 
 いや、たばこの話なので、この件は別の機会に。
 たばこを吸いたい人は自由に吸えて、嫌な人にはその影響がない、そんなシステムが理想的だ。不健康だろうが何だろうが、副流煙も含めて、喫煙者の中で自己完結してくれれば、いくらでも吸ってもらって構わないと思う。ヘルメットのようなものをかぶり、外部との通気はフィルターを通して、たばこの煙は外に漏れないようにし、自由にゆっくりと吸ってください装置だ。
 そんなんじゃ美味しく吸えないし、身体にも悪い?ならばきっと彼はそれで禁煙できるのじゃないかな?

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