由比敬介のブログ
新庄の襟
新庄の襟

新庄の襟

 先日の日本ハムとソフトバンクの一戦で新庄がシャツの襟を大きく出して出場し、王監督やソフトバンク側からクレームが出た。結局審判団が「マナーの問題」という、何ともオールマイティな言葉を使って今後はだめという判断を下した。
 元々新庄は、続けて同じことをするつもりはなかったかもしれないが、「もうやらない」ということになったらしい。審判団は「違和感」を感じたらしい。
 私の印象は、「髪を黒く染めてこい」という高校生と教師の会話のように見えた。
 曰く、「青少年に与える影響・・・・」
 などというあたりがどうにも解せない。どちらかというと、新庄めあんなことばかりやりやがってという、単なる腹立ち紛れにしか見えない。
 新庄のファンサービスが、野球をショーにしてしまっている部分は確かにあると思う。定めし星一徹なら、「男たる者、浮き足だって、ちゃらちゃらした女みたいなことをする出ない!命をかけた男と男の勝負、試合が全てぞ」とでもいうかもしれない。
 今度のことは、ネクタイをしないで、評論家の怒りを被ったかつての堀江と似ていなくもない。
 私は野球をしないし、ほとんどしたこともこれまでない。しかし観るのは好きだし、ヤクルトファンだ。そして少しだけアンチジャイアンツ。巨人阪神戦を伝統の一戦などというのを聞いていると、古けりゃなでも伝統かい、とヤジを飛ばしたくなるような、心の狭い男だ。
 だが、今回の新庄のスタイルは、個人的には「違和感」は感じないし、シャツの襟のボタンを外し、なぜかきんきらのネックレスをしている選手などよりも、「きちっと」して見えた。
 しかしそもそも、そんなことが大事なのではなく、あんなことで青少年への悪影響をいうなら、この世の報道などは、なべて悪影響を及ぼしている。
 球場で両軍選手が入り交じって乱闘をしたり、相変わらず巨人中心主義の野球放送や、細かいところはともかく、体質そのものは何も変わったようには見えない野球界こそ、糾弾されてしかるべきだ。
 むしろ新庄の様々な(やり過ぎがあったとしても)パフォーマンスは、日ハムに関する限り、ファン獲得の大きな動力源であるし、それに簡単に水を差してしまう世界の王が、少し小さく見えた。

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