由比敬介のブログ
99.9%は仮説
99.9%は仮説

99.9%は仮説

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 表題のようなタイトルの本を読んだ。光文社文庫で、竹内薫というサイエンス・ライターが書いている。結構ブルー・バックスなどにもたくさん書いている人で、気にはなっていた。
 結論から言うと非常に面白かった。
 この世には確定的なことはほとんど無いという理屈は、神の存在から科学万能まで、非常になめらかなグラデーションでこの世の有り様を考えることができるのと同時に、この世のあらゆる事は不可知論的に、実証不可能ということで片付けてしまう可能性を残している。
 
 しかし、ある意味それは、思考の束縛から自身を解放する一つの手段である。
 このほんの帯には「飛行機はなぜ飛ぶのか?」というキャプションがあるが、この本はまず、どうして飛ぶかは解っていないという切り口から入る。
 かつて、「定説です」というカルト団体があったが、この世の定説は、基本的には仮説に過ぎないというこのほんの本質は、だからこそ、新たな発見が毎日あるのであり、自分とは違う他人を尊重することが重要だと説く。
 まさに、ニュートン力学が相対性理論で近似値に格下げされても、日常的にはニュートンが支配しているのだ。それでも宇宙へ出て行くとき、そして将来や宇宙論を見晴るかすとき、ニュートンはアインシュタインに取って代わられる。
 アインシュタインだって、いつ他の誰かに取って代わられるか解らないということを否定できないとすれば、取りも直さず、相対性理論も仮説に過ぎないということの証明になる。
 この世には真理とか真実とか、定理とか公理とか、似たような言葉がたくさんある。
 デカルトが、「方法序説」の中で言った有名な「我思う、故に我有り」だって、それを前提にしなかったら、何も先に進まんだろう、という事であり、証明などできない。
 この世の全ては俺の夢だ!
 と誰かが言ったとしても、反証の余地はあるが、完全に否定はできない。
 何かを疑うという行為は、いい場合とよろしくない場合がある。
 オレオレに始まるような電話の詐欺は、まさに疑わなくてはならない典型だが、愛する人を信じられなくなったらおしまいだ。
 先日、10ヶ月拘留され、起訴までされたが、冤罪であることが解ったという事件があった。これも友人が彼を信じ、助けたということだ。
 この世には、神はいるかいないかとか、といった、ある意味心の問題と片付けるしかない事から、1+1は2のように、確定的なことがある。1+1が2であるのは、それが自然の摂理であるからではない。人がそう決めたからだ。1+1は山と決めていれば、1+1は山だ。
 だが、なぜ1+1が2になるように、この世ができているのかは、おそらく永遠の謎だ。
 あなたはこう考えるが私はこう考える。この世は所詮、それの積み重ねであり、その都度、より多くの支持を勝ち得てきたり、場合によっては力が強かったりで、多くのことが決まってきた。それでも、「盗人にも三分の理」以上に、人の意見には聞くところがあるものだという意識を、改めて強く持ちたいと思わせる書であった。
 読みやすいしお奨め。

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