由比敬介のブログ
北野誠の会見
北野誠の会見

北野誠の会見

 北野誠が全ての番組を降板し、謹慎するというニュースは数日前に読んだ。その時点ではあまり興味を持たなかったが、今日の会見を見てちょっとネットを調べてみたが、何ともよく分からない事件である。
 よく分からないこととが、これでいいのか?という疑問を生む。
 特定の宗教団体や芸のプロダクションへの誹謗中傷などに関しては、今日の会見で否定された。ネットに踊る理由は、事実ではないと発言したわけだ。
 北野誠というタレントが、どういうタレントなのか、実はよく知らないが、歯に衣着せぬというか、時には毒舌を含んだ発言が人気を博しているのだろう。バラエティで時折目にする彼は、だとしてもそれほど常軌を逸した発言をするとは思えない。常識をわきまえた発言をしているように見えた。
 もちろんラジオという場は、テレビとは違い、より過激だったり、そこが面白くもあるのだ。それは昔から、特に深夜放送は変わらない。
 ただ、タレントが公共の電波で発言したことが、そのタレントの仕事を、一時期とはいえ奪うとすれば、その放送を聴いたリスナーの中にでも、その原因は見当が付きそうだ。おそらくその推測が宗教団体や芸能プロに原因を求めたのだろう。もちろん、本人が否定してもそこに理由がないとは言い切れない。何故なら、本当の原因を隠して会見しているからだ。
 その発言がごく私的な個人への攻撃だったりするなら、ある意味蒸し返すことはよろしくない。だが、それが特定団体や公人になされたものであれば、その人の人生を大きく左右している以上、何らかの形で明らかにされなくてはならないのではないだろうか。
 これでは、憶測でも「影の圧力に屈した」という印象をぬぐえない。
 これは、北野誠個人の問題を離れ、表現の自由とその範囲をきちんと守るためにも明確にされるべきことだ。
 芸能人は、先日の草なぎ剛の件をとっても、一般人とは違った尺度がその行動に科される。それはある程度仕方がないことだと思うが、だからといって、一人の人間、一人の日本人であることに変わりはない。必要以上の制裁が加えられることは、厳に社会が慎まなくてはならない。
 同時に、一人の芸能人が仕事を失うとき、その芸能人が著名であればあるほど、その理由は明確にされるべきだ。それが社会に対する責任であるはずだ。
 悔しげな北野誠の姿を見ながら、何かその背景にあるものへの恐ろしさという感情を、禁じ得なかった。

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