由比敬介のブログ
いちゃもん
いちゃもん

いちゃもん

またまたオリンピックの話題だが、今度はオリンピックそのものではない。
先ほど阿武選手の決勝戦を見ていた。金メダル獲得おめでとう。をまず言っておくが、試合の中盤で相手選手が阿武選手を朽ち木倒しに行った。実はこのシーン、会場の応援を映していて放映されていない。アナウンサーの声でそう分かった次第。
さて、ことほど左様に、テレビの中継とは時折何を考えているのやら分からない。
今度の例を取るなら、試合時間の5分間、試合会場以外を映す必要はない。どうしても必要なら、画面の隅にでもスーパーインポーズしていればよろしい。
これは何もオリンピックに限ったことではなく、むしろバラエティー番組に顕著だ。誰がカメラの切り替えを担当しているのか、業界人ではない私にはよく分からないことだが、例えばマジックの最中にそれを見ているゲスト芸能人を映す。これなどはっきり言って「意味がない」少なくともその番組を見ている大半は、マジックをずっと映し続けていて欲しいはずだ。


終わった後でいくらだって映せる芸能人の、マジックを見つめる神妙な顔を映して何になるのか、カメラの切り替えをするテレビ局の人間の頭の中を覗いてみたい。
これは何もマジックに限ったことではない。そのテーマになっている内容が、少なくとも外野のそれを見ている表情を見せることと比較して、どちらに視聴者の興味が向いているかが判断できないのか、そもそも視聴率は気になっても、視聴者のことは気になっていないと見える。自分がテレビのこちら側に座ってみなさいと言うことだ。
ついでにいうなら、最近はおきまりのようになっている、CMを挟んだ内容の重複。それも、多少ならかわいいものだが、要するにCMを見せたいがために、一番盛り上がる手前でCMに持って行き、CM後にそのしばらく前から見せる。最近は度を超しているように思う。
いいところで終わらせるのはまだ百歩譲って仕方ないとしよう。しかしCM後にまたぞろCM前の同じシーンを重複してみせられる方は煩わしくて仕方ない。たかだか数分のCMでその前のシーンを忘れるほど視聴者はバカではない。この辺りも結局は、作り手の勘違いと、スポンサーを向いて番組を作っていることの表れのような気がする。
まあ、資本主義の世の中で、お金のために一番いい方法をとった結果、そうなるのかもしれないが、先に書いた何かの進行中にそれを見ているゲストを映すのは、さっさと止めて欲しいのは私だけではないはずだ。
マジックを例に取れば、そのトリック見破ってやりたいと真剣に見ているゲストと、実は同じ気持ちで視聴者は見ているのであって、誰がそのマジックを見ているのかを見たいのではないと言うことだ。
政治や行政、振り返ってみれば自分たちの仕事であっても、その対象が何を望んでいるかを見極め、そのために努力すること、それが最もいいことなのかもしれない。自省自省。

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