このまま近鉄とオリックスの合併が決まったら、今週末から土日は野球をやらないようです。つまりストライキです。この合併問題は今更私がここで何かをいっても仕方ないので前回のエントリーで止めておこうかと思ったのですが、野球と言うことを離れても、企業の構造的な問題もはらんでいそうで、ちょっと追記しようと思い立ちました。
ストといえば、思い出されるのは国鉄や私鉄のスト。私などはどちらかというと、ストで学校や会社が休みになるのを歓迎した、情けない部類の人間ですが、そもそもストライキというのはそうすることでしか闘うことができない労働者が、最後の手段として仕事をボイコットすることで、そうされてはその期間の収入が断たれて困る経営者とのぎりぎりの交渉手段です。
春闘といっても最近はストなどあまりお目にかかりません。一部ではやっているのかもしれませんが、かつてのように、資本家と労働者という二極が完全に対立した格好での組織というのが実はあまり無くなっているからではないかと思います。
昔に比べれば、社員の権利というのは大幅に広がり、経営者側も、少なくとも建前上は、「皆さんたち社員の力がなければ」会社が成り立たないと言うことを認めているからだと思います。つまり、「雇ってやってる」感が薄れたといってもいいでしょう。
でも今のプロ野球界を見ていると、どうも経営者側が、「おまえらを雇っているのは俺たちだ、選手の分際で経営に口を挟むな」といっているように見えます。そもそも経営に失敗して合併話をしようとしている経営者がなにをか言わんや、といった見方もできますが、それはさておき、私には経営者の傲慢が見えて仕方ありません。
そもそも私も経営者の端くれではあるのですが(ほんとに縁の部分です)、経営というのは確かに大変だと、私程度でも感じます。何千万円の赤字を抱えているわけでもなく、何千人も社員を抱えているわけでもありませんが、近鉄が抱える、あるいはパリーグ各球団が抱える辛さの一端を感じ取ることはできます。
でも、経営者が経営状況も明らかにせずリストラしようと勝手に動くことに対して、そこで働く人間が異を唱える気持ちもよく分かります。なぜなら私もしばらく前まではサラリーマンでしたから。
会社に入る前に、誓約書というのに署名させられ、そこには「上司の命令に従う」という文面がありました。そこに署名しなければきっと入社は取り消しになるでしょうから、サインしましたが、たかだかそんなことで非常に割り切れない思いをしたことを記憶しています。上意下達。従業員というのは従う人のことですから、従うのは当然なのかもしれませんが、他に従うことの意味と、それがどこまで自分を捨てるかという部分のバランスは、今と昔で大分違いますし、組織それぞれの中でも大分温度差があると思います。
上が決めたことに全て従うことは、言ってみれば金正日に従わざるを得ない北朝鮮のような国家であっても、否を言うなという極論にもなりますし、その反対に自分勝手でいいわけでもありません。いわばその狭間でどこが最もバランスが取れているかで、ある意味、世論の動向はそのバランスを極めてうまく反映する可能性があります。
自民党の議員が、先日の社会保険制度の改変に関して、「世論調査の結果がどうあろうと、将来を見据えて決めねばいけないこともある」というような発言をしていました。これは言葉を換えれば、自民党の大方が反対しようと、せねばならぬ郵政民営化は行うと、首相が言えばするということを補強するような論旨で、同様な論点が、実は今回の近鉄とオリックスの合併問題にもあるように思えます。
12球団2リーグがプロ野球にとっての理想型だと証明することは難しいでしょう。また、渡辺元オーナーが言っていたように、10球団3軍制にすれば、選手を解雇することもないというのも、赤字球団にとっては逆に負担が増える場合もあると思います。
物事は、たとえ科学的に結果が導き出せるとしても、やってみなければ結局は分からないのだというのが本当のところです。
合併とそれに続く10球団1リーグ制だって、本当に悪いのかどうか分かりませんが、少なくとも世間のファンや実際にプレイをする選手がそれを望んでいないことは明らかです。今回の問題が、野球放送の視聴率低下の一因になっていないとは言い切れないでしょう。
つまり、近鉄球団やオーナー会議、あるいはコミッショナーといった今の球界再編を推し進め、それを追認している人たちが行わなければいけないのは、12球団2リーグ制を存続させようかという決断ではなく、選手と、ファン、世論に、10球団1リーグ制の持つ意味と、そうならざるを得ない現状について説明責任を果たすことが第一義で、恐らく日本人には最も不得手なそのことを、旧態依然とした感覚しか持っていないようにしか今のところ見えない各球団社長やオーナーができるかどうかと言うことです。できないのであれば、ひいてはそれは、強行突破としての1リーグ制と、選手離れ、ファン離れの中での、野球文化の衰退をもたらすのだと思います。
今回の合併劇では、堀江社長というお金持ちが出てきて、球団を買おうとしたのも断りました。つまりは、球団存続よりも、自身の球団経営者でありたいというエゴを近鉄が優先した結果のこの騒動です。その時点でもなぜそういう決断なのかは明らかにされていません。
野球というものが、自分たちの経営手段にしか映っていないのは明らかで、野球に限らず、様々な文化をダメにするのは、単純な功利主義や、政治的理論です。
今、野球界が抱えている問題は、実は我々が政治や行政との間で理不尽さを追求しなくてはいけないことと、実は同種の部分も持っていますが、それ以上に、金では買えない何かを例えばスポーツは持っているのだと言うことを経営者が心の底から理解できない限り、不幸な行く末は阻止できないそういった類の問題なのかもしれません。