非を認めるというのは人間、なかなか難しいものだ。
NHKの様々な横領や着服といった問題で、不払いがかなり増えているという。10億円とも言うことだ。払いたくなくても、口座引き落としの場合は難しいだろうから、本当に払いたくない人(こんどの事件で)ということになれば、NHKの経営に大きく響くほどの金額になろう。
実際に発覚して、悪事がばれた人たちは、謝罪したりしているようだが、NHKは「自分たちも被害者」などというのんきなことを言っている。確かに、昨日今日入った人たちや、多くの職員にとっては、こんな事で非難の矛先が向けられるというのははなはだ不本意だというように、日頃一生懸命仕事をしているに違いない。だが、記者発表する時に「そりゃねえだろ」という感じだ。そんな職員を雇ったのはどこの誰だ!
法律を笠に着て、国民の義務だと言って金銭を徴収するのは、税金、社会保険料、NHKなどだが、これらを使う現場で、多くの無駄や、どう考えても不適当な使われ方がされている。
しかし、よっぽど事が公になり、刑事事件にでもなるか、明るみに出ない限り、公的機関や政治家が、「非を認め」るのを見たことがない。
人間、心情としては解らなくもない。誰だって、自分が悪いことをして、それをすみませんというのはなかなか難しいことだ。
しかし、私たちは子供の頃から、「嘘をつくな」とか「悪いことはするな」とか、教わって成長してきた。恐らくどんな国でも教育では同じ事が言われているだろう。つまり、人類社会においては、これは普遍の真理なのだ。
例えば今回のNHKの件で言えば、NHK内の誰が悪かろうと、国民に対してはNHKこそが当事者であり、その犯人(今は容疑者と言うようだが、本人が謝っているのに容疑者はおかしいだろう)が、個人的に殺人事件を起こしたというならともかく、役職を利用した横領だったりすれば、その監督責任をこそ、自らに対して問わなければならない。自分も被害者だなどという発言は火に油を注ぐようなもので、それが解らないとすれば、彼らはばかだ。
ところが、彼らに限らず、人間というのは多かれ少なかれ馬鹿なのだ。そして臆病だし、自己防衛は確かに本能的なものだ。
だから、単純に理屈や論理がそういう時には通用しなくなる。
社会保険庁や道路公団、その他多くの公益法人などで、税金や社会保険料が、無駄に、そして不公正に使われている。職員の宿舎を、全く世間的な相場を無視した価格で運営していることだけをとってみたって、これは国や行政がやれば悪事だ。
会社が社員にただで貸すのは構わない。しわ寄せは会社の経営に影響し、会社が倒産するだけだからだ。
ところが国や行政は、赤字を増やして国民に増税という形で付けを回し、自分たちは安穏としていることが可能だ。こんな不公平な悪事があろうか?
国会の質疑などで、野党がそれらの追求するシーンでは、概ね弁解が聞かれるだけだ。その時は問題になるが、いつか忘れられていく。
非を認めないと言うことが、実は最大の防御なのだ。
子供たちに正義や平和を語りながら、親は不正や戦争を行っている。これが世の中だ。人類の進化は、知恵を持つことで始まった。しかし今の人類に種としての知恵があろうか?
まず隗より始めよ!
これが我々一人一人に課された、人生での試練なのだ。